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老化現象 [雑感]

50代に入ってから、記憶力の低下が顕著になってきました。
最近は正確な縄張図が手元にない、ドマイナーな城に行くことが多くなってきたため、
(ネット上の情報皆無とか、縄張図があっても不正確極まりないものだったりとか)
写真だけだと城の縄張りが全く思い出せないことが増えてきました。

ブログを頑張って書いているものの、大体今書いている城は、半年ぐらい前に行った城で、
なかなか探訪ペースにブログ記事が追っつかない状態です。
おかげで、特徴があまりなかったり、印象が薄い城は、
ブログを書くために写真を見返していても、
「これ、どこの部分だ?」「何を撮ったんだっけ、この写真?」なんて言うことが、
とっても多くなってきました。

記憶力の限界を感じてきたため、今冬の山城探訪から簡単な縄張図を書き始めました。
歩測もせずにテキトーに描いているので、正確性には欠けますが、
縄張りの概略だけ分かればいいかな、ということで、走り描きをいくつか残し始めました。

下に掲載したのは、先月下旬に行った岩手県遠野市の花楯(花館)です。
スーパー地形の地形データから、すごい城だろうと想像はしていましたが、
竪堀・横掘が縦横に張り巡らされた、期待に違わぬすごい城でした。
私が人生始めてまともに描いた縄張図です。
ヘタクソでどうしようもないですが、すこしずつ頑張っていきたいと思います。
なにせ基本が「個人の備忘録」というスタンスのブログなので、
正確さは求めないでくださいね・・・。
z花楯縄張図.jpg
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長沢東城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN9045.JPG←大手枡形
 長沢東城は、家老屋敷とも言い、歴史不詳の城である。谷を挟んで南西には長沢西城があり、東城は西城の出城であった可能性がある。南東約1.2kmには富崎城があり、富崎城の攻防に関連して築かれたものと推測されている。

 長沢東城は、辺呂川の北側に連なる丘陵地の一角、無常山に築かれている。婦中ふるさと自然公園から南西に広がる林の中の散策路を進んでいくと、やがて城への案内板が現れる。そこから南東へと進んでいくと、城域に至る。城内は大きく7つの曲輪に分かれ、現地ではA~G郭と名前が割り振られている。城域後部の最高所にあるのがG郭で、本丸とされている。削平が甘い地山で、周囲の切岸も不明瞭であり、単なる物見か詰丸的な位置づけである。G郭の南東には切岸で区画されたF郭があり、二の丸とされるが、実態はG郭の腰曲輪である。その下方の平坦地にC~Eの3つの長方形の平場が並ぶが、土塁があるのは一番西のE郭だけで、他はわずかな段差で区画されているだけで、いかにも屋敷地と言う感じである。これらの南側に高台となったA郭がある。A郭は城内で最も広く、土塁もあり、浅い空堀でB郭と区画され、東下方に大手枡形を置いている。実質的な主郭はA郭であろう。B郭はA郭の東に突出した尾根上の曲輪で、A郭とは土橋で連結されている。大手枡形を俯瞰する位置にあり、大手虎口防衛の櫓台として機能していたと考えられる。大手枡形は、前面に土塁を築き、入り口を狭めている。枡形からの城道は、A郭へ登る道とC~E郭の脇を通る道に分かれて通じている。長沢東城は、家老屋敷の別名通り、家臣団の居館地的な城である。
A郭の土塁→DSCN9090.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.651903/137.109654/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


越中中世城郭図面集 1(中央部編(富山市・中新川郡

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タグ:中世平山城
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