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青葉山城(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN1014.JPG←腰曲輪外周の横掘
 青葉山城は、東永井館・東館とも言い、永井讃岐の居城と伝えられる。それに先立つ応永年間(1394~1428年)には菅原道長・春道の居城で、後に西館(西永井楯)に移ったとの説、また平安末期には奥州藤原氏3代秀衡の家臣照井太郎の一族照井次郎の居城であったとの説もある。

 青葉山城は、標高80mの丘陵上に築かれている。西麓の車道脇に城址標柱があり、そこから谷地形の畑の脇を抜けていくと、山中の小道があったので、これを辿って南東へと登っていくと、小道は堀状になって城の南の尾根に至る。道はここから更に南に伸びているが、それでは城から離れてしまうので、尾根上で道をそれて北に向かうと、切岸が現れる。ここからが城域である。青葉山城は、山頂に主郭を置き、その北西に二ノ郭が突き出ている。主郭内には祠が2基ある土壇がある。西に虎口があって、二ノ郭に繋がっているが、単純な坂虎口である。二ノ郭は主郭・二ノ郭の西から南にかけて腰曲輪が築かれている。二ノ郭はこの腰曲輪に対して横矢を掛けるように張り出している。腰曲輪も同様に塁線が外に張り出している。この腰曲輪の外周には幅広の横掘が穿たれており、前述の塁線の張り出しは、この横掘への横矢掛りとなっている。横堀の外周には土塁が築かれ、その外周にも腰曲輪がもう1段築かれている。横掘の東端部には、下方の腰曲輪からの虎口が形成されている。地形が崩れていて明確にはわからないが、枡形虎口を形成していたようにも見える。以上が青葉山城の遺構で、高倉城よりもしっかりした遺構であり、また城内もある程度間伐や薮払いがされているので、遺構が見やすい。
祠のある主郭の土壇→DSCN1081.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.786848/141.244762/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


続・東北の名城を歩く 北東北編: 青森・岩手・秋田

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タグ:中世平山城
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