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井田主馬ヶ城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN9804.JPG←二ノ郭の畝状阻塞
 井田主馬ヶ城は、この地の土豪斎藤氏が築いた城と伝えられる。斎藤氏は南北朝期から楡原保に勢力を有し、井田館を居館としていたと推測される。戦国中期には城生城に本拠を移した。井田主馬ヶ城は、井田館の詰城と推測されており、城主として斎藤主馬・主馬判官・斎藤左源太などの名が伝わるが、はっきりしない。斎藤氏が上杉勢と戦った1552年までには築城され、1583年に斎藤次郎右衛門と佐々成政が戦った城生城攻防戦以前に廃城になったと推測されている。

 井田主馬ヶ城は、標高175.4m、比高100m程の山上に築かれている。市の史跡に指定されており、北麓に登り口がある。しかし城までの尾根道は長く、500m程の距離がある。しかしこれが往時の大手道だったと考えられ、途中に削平の甘い木戸曲輪が2ヶ所確認でき、1個目の手前には一騎駆けの土橋があって登城道を防御している。主城部は、主郭(A郭、以下アルファベットは現地表記)を中心に、東側半周に同心円状に二ノ郭(B郭)を配し、その周囲に腰曲輪、また南の尾根に不整形な三ノ郭(C郭)を配置している。二ノ郭虎口は登城路が屈曲して枡形を呈し、その前面西側には浅い空堀を穿っている。二ノ郭の南東部は、浅い横堀が主郭切岸周囲に穿たれ、その外に幅広の帯曲輪が築かれたような構造となっている。この帯曲輪を刻んだ形で、畝状阻塞が構築されている。これは畝状竪堀ではなく、「櫛の歯状畝状空堀群」(佐伯哲也氏の表現)である。この形態の空堀は摩頂山南砦に似た構造があるが、珍しい形態である。この南端に大きな土壇があり、後部を防衛する櫓台になっていたと思われる。ここでは横掘が薬研堀状に狭くなっている。二ノ郭の上にある主郭は、中央に土壇のある狭小な曲輪で、内部は傾斜していてほとんど居住性はない。南の三ノ郭は中央部に土壇があり、南端に堀切が穿たれているが、これも整形が中途半端である。二ノ郭周囲の腰曲輪には、三ノ郭から道が通じている。腰曲輪には支尾根の付け根を貫通する堀切兼用の通路が設けられている。外側の斜面には竪堀もある様だが、薮でわかりにくい。以上が井田主馬ヶ城の遺構で、全体的に曲輪の削平が甘く、パッとしない印象で少々期待外れだった。
腰曲輪から見た二ノ郭切岸→DSCN9859.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.586699/137.151346/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


図説 上杉謙信

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タグ:中世山城
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