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鶴ヶ渕城(栃木県日光市) [古城めぐり(栃木)]

角馬出の虎口
 鶴ヶ渕城は、会津西街道を日光から北上して五十里湖を過ぎ、国道400号線との合流点から更に2Kmほど行った先にある。かつてはこの道を、小田原の役後に会津入りした太閤秀吉や、宇都宮城の攻防で惜敗して会津に敗走した、土方歳三率いる旧幕府軍と新撰組の混成部隊が通った。
 もともと会津西街道は奥州街道(現在の国道4号線にあたる)と並んで、北関東から南奥州の中心地、会津に抜ける主要街道であり、その街道を監視し押さえるために築かれたのが、鶴ヶ渕城なのである。

 ただし城といっても、街道を北上する敵軍の侵攻を抑える為に築かれた「防塁」的な要素が非常に強い。大きく3つの部分から構成され、街道横の男鹿川の向こう岸に構築された角馬出と、それに続く長い防塁、そして対岸の姥捨山山上に築かれた物見台といわれる曲輪群から成る。もともとは中世戦国期に、会津田島を所領とした長沼氏が築いたようだが、その後関ヶ原前夜に徳川軍の侵攻を阻止するために上杉景勝の命で防塁が増強されたり、また前述の通り戊辰戦争の折、敗走する幕府軍によって増強されたとも言われる。
 まず一番見やすいのは角馬出しで、会津西街道から川を渡る橋を越えてすぐのところにある。遺構は明瞭であるが、土塁の高さや周囲の堀の規模など、街道の監視砦的な域を脱していない。それに続く防塁は、堀とともに野岩鉄道の線路を越えて、田代山の麓まで数百mにわたって続いている。途中には横矢も掛かっている。

 次に対岸の姥捨山上の曲輪であるが、これははっきり言って苦労してみるほどのものではなかった。全体に削平が甘く、自然地形なのか何なのかよくわからないのである。山頂の主郭と思しき部分は、真ん中が擂鉢状に窪んでおり、文献では「寒風よけに深く掘られた」と記載されているものもあるが、どうも人工的なものには見えにくくよくわからない。まだ一向衆が敦賀の木の芽峠に築いた城塞群の方が、土塁などが明瞭である。それ以外の部分は、ほとんど自然地形を利用した物見台で、堀切などの防御施設もあまりはっきりしない。
 所詮、街道の監視が主任務の城(砦?)なのであろう。ここで敵軍を粉砕したり、籠城したりする目的ではない城であった。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.026625/139.726889/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


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