SSブログ

小田山城(福島県会津若松市) [古城めぐり(福島)]

DSC01422.JPG←物見櫓跡
 小田山城は、葦名氏が平山城である黒川城の詰の城として、南東約1.5kmの小田山に築いた山城である。後に葦名氏中興の英主、16代盛氏が向羽黒山城を築くと詰の城としての機能を失ったといわれる。城跡は、大きく2つのブロックに分かれ、小田山に築かれた曲輪群のほかに、その南の青木山にも何段かの曲輪が残っているという。今回は、本城である小田山の曲輪群のみ訪城した。
 小田山には現在、散策路が整備されているので、非常に歩きやすい。何段かの削平地があるのも確認できる。主郭と二の曲輪には、会津藩の名臣の墓が建てられている。途中の帯曲輪と思われる場所には、戊辰戦争の折、官軍が若松城に向けてアームストロング砲の砲列を敷いた「西軍砲陣跡」が残されている(会津をはじめ、戊辰戦争で薩長に攻められた奥羽諸藩では「官軍」といわず「西軍」という)。天気が良いと、ここから見る会津若松城は、呼べば聞こえるような近さである。ここから砲撃されては、城内は丸見えだし、たまったものではなかったろうと思われる。
砲陣跡から見た会津若松城→DSC01401.JPG
 主郭を越えて延びる散策路を行くと、物見櫓跡と堀切跡が残っている。ただ堀切跡は、江戸時代に墓石の採掘で改変されたらしく、かなり旧状が変わってしまっていて、どういう堀切だったか良くわからないほどだ。現在では大きな窪地の様になってしまっている。
 詰の城とは言っても古い城なので、堀切などの防御設備が少なく、かなり古い形態の城だったようである。諸説あるようだが、現地の城跡の碑には「承久四年(1222年)葦名光盛築く」と書かれている。
 なお途中の散策路には、葦名氏歴代当主の廟所跡が残されているが、跡なので何も残っていない。山を下って北側の住宅地の中に、花見が森廟所があり、そちらには16代盛氏から3代の墓が残っているので行ってみるとよいだろう。
DSC06892.JPG←葦名盛氏の墓

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/37.480069/139.943612/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 1