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小泉城(群馬県大泉町) [古城めぐり(群馬)]

DSC02901.JPG←本丸の土塁と水掘
 小泉城は、富岡氏が築いた平城である。富岡氏はもともと下総結城氏の流れと伝えられている。結城合戦で挙兵した結城氏朝の弟久朝の子、直光がかろうじて乳母に抱かれて結城城から逃れ、長じてのち富岡氏を名乗り、1489年に小泉の地に城を構えたという。以来100年、6代にわたって富岡氏歴代の居城となった。富岡氏は最初、古河公方傘下であったが、上杉謙信が関東管領を継いで北関東に勢力を伸ばしてくると、上杉方として働いた。後に越相同盟が結ばれると、転じて小田原北条方に付き、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡するまで北条氏に従ったと言う。特に沼尻合戦前後の、北関東での北条・佐竹2大勢力の抗争の中では、小泉城は佐竹方の館林城金山城の間にあって楔を打ち込む重要拠点となった。

 現在の城跡は北条氏傘下に入ってから改築されたものと考えられているそうで、実際その縄張りは、きちっと横矢の掛かった本丸土塁や三の丸外郭土塁など、戦国中期以降の戦術が取り入れられている。本丸を中心に全周を曲輪が取り囲んだ、おおむね環郭式の縄張りとなっていて、特に本丸全周と三の丸北側に土塁と水掘が明瞭に残っており、街中の平城としては奇跡に近いぐらい、往時の姿をよく残している。三の丸の一部は中学校となって遺構は消滅しているが、それでも道路沿いや公園との敷地境界におそらく当時からのものと思われる土塁状の地形が残っており、城跡の雰囲気を色濃く残している。本丸の規模などは少々小ぶりではあり、また公園化されて整備されすぎているきらいはあるが、中世の城跡として十分その遺構を楽しむことができる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.261352/139.413972/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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