新田の庄 その2(群馬県太田市) [古城めぐり(群馬)]
太田市周辺は、知る人ぞ知る新田源氏一族の史跡の宝庫である。南北朝の動乱で、足利方にすり潰されて没落した新田一族であるが、さすがは左中将義貞殿の由緒の地。朝廷に庇護されて・・・、何てことではなくて。実際には、徳川家康が新田一族の裔を称したため、江戸時代を通じて保護されてきたのと、もう一つは昭和の国粋主義、皇国史観の中で、南朝側の新田氏が称揚されたこと。
南北朝フリークの私は、この地には何度も足を運んでいるが、ブログとして取り上げるのは2回目。今回でほぼ回りつくしたはず・・・。
<大館館>
大館氏は新田氏の一族で、義貞の鎌倉攻めの際、極楽寺坂で戦死した大館宗氏が有名である。現在は一面畑となっていて何も残っていない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.253722/139.298851/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<薮塚館>
薮塚氏も新田氏の一族である。近くにある藪塚温泉は義貞の隠し湯などと呼ばれているらしい。館跡は畑の真ん中にぽつんとある長円寺の境内であるが、よく見ると周囲には土塁や堀らしき名残が見られる。ただ改変が激しいので、本当に遺構かどうかは微妙。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.367462/139.313872/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<伝薮塚氏墓>
東武桐生線沿いにあるのだが、なんと墓があるのが民家の庭先という、何とも気まずい場所にある。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.362313/139.311233/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<長楽寺>
新田氏の一族、得川義季の開基と伝わる。境内には得川義季一族の墓所がある。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.262996/139.275527/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<世良田東照宮>
徳川幕府が、系図を騙った新田得川氏のゆかりを示すため、世良田の地に立てた東照宮。もともとは2代将軍徳川秀忠が日光に最初に建てた日光東照宮の建物を、3代家光が豪華さに乏しく東照大権現にふさわしくないとして、新たに立て直す際にこの地に移築したもの。確かにこれでは地味だわ。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.262165/139.275677/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<世良田館>
長楽寺の裏の公園に、発掘された堀跡が残っているのが世良田館跡とされている。しかし、民家などが建っているため広範な発掘調査ができず、決定打となる証拠は無いらしい。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.262390/139.274454/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<得川義季館>
縁切り寺として知られる、満徳寺の裏にある八幡宮が館跡とされる。特に遺構は見られなかった。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.254189/139.286084/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<新田館>
現在の総持寺が、元々の新田宗家の館跡とされている。義貞も挙兵はここから起こしたというが、それにしては兵を集結させた生品神社までの距離がありすぎる。新田の庄の伝承は虚実入り混じっていてにわかに確定しがたいが、やはり昔から知っている通り、反町館を義貞の居館と思いたい。現在は何も残っていないが、昭和初期まで土塁などが残っていたようだ。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.266767/139.272158/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
※その他の新田の庄の記事は、こちらとこちら。
南北朝フリークの私は、この地には何度も足を運んでいるが、ブログとして取り上げるのは2回目。今回でほぼ回りつくしたはず・・・。
<大館館>
大館氏は新田氏の一族で、義貞の鎌倉攻めの際、極楽寺坂で戦死した大館宗氏が有名である。現在は一面畑となっていて何も残っていない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.253722/139.298851/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<薮塚館>
薮塚氏も新田氏の一族である。近くにある藪塚温泉は義貞の隠し湯などと呼ばれているらしい。館跡は畑の真ん中にぽつんとある長円寺の境内であるが、よく見ると周囲には土塁や堀らしき名残が見られる。ただ改変が激しいので、本当に遺構かどうかは微妙。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.367462/139.313872/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<伝薮塚氏墓>
東武桐生線沿いにあるのだが、なんと墓があるのが民家の庭先という、何とも気まずい場所にある。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.362313/139.311233/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<長楽寺>
新田氏の一族、得川義季の開基と伝わる。境内には得川義季一族の墓所がある。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.262996/139.275527/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<世良田東照宮>
徳川幕府が、系図を騙った新田得川氏のゆかりを示すため、世良田の地に立てた東照宮。もともとは2代将軍徳川秀忠が日光に最初に建てた日光東照宮の建物を、3代家光が豪華さに乏しく東照大権現にふさわしくないとして、新たに立て直す際にこの地に移築したもの。確かにこれでは地味だわ。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.262165/139.275677/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<世良田館>
長楽寺の裏の公園に、発掘された堀跡が残っているのが世良田館跡とされている。しかし、民家などが建っているため広範な発掘調査ができず、決定打となる証拠は無いらしい。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.262390/139.274454/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<得川義季館>
縁切り寺として知られる、満徳寺の裏にある八幡宮が館跡とされる。特に遺構は見られなかった。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.254189/139.286084/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
<新田館>
現在の総持寺が、元々の新田宗家の館跡とされている。義貞も挙兵はここから起こしたというが、それにしては兵を集結させた生品神社までの距離がありすぎる。新田の庄の伝承は虚実入り混じっていてにわかに確定しがたいが、やはり昔から知っている通り、反町館を義貞の居館と思いたい。現在は何も残っていないが、昭和初期まで土塁などが残っていたようだ。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.266767/139.272158/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
※その他の新田の庄の記事は、こちらとこちら。
新田義貞:関東を落すことは子細なし (ミネルヴァ日本評伝選)
- 作者: 山本隆志
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2005/10/10
- メディア: 単行本
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