佐良土館(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]
←土塁跡
佐良土館は、那珂川と箒川の合流点近くに築かれた居館跡である。豊臣秀吉の小田原攻めの際、那須氏の当主那須資晴は逡巡して参陣しなかったため、所領を没収、改易されて、わずかに福原庄に5千石を給されて佐良土に館を築いて蟄居隠棲した。それがこの佐良土館である。ただ、このとき初めて築かれたのではなく、元々あった居館を整備した可能性もあるようだ。
現在は宅地や畑になっており、土塁もかなり削平されてしまっているので、遺構の残存状況は良いとはいえない。それでも土塁跡が一部に残り、周囲には堀跡と思われる地形も残っている。ただ夏場なので雑草が生い茂り、堀の遺構を明確に確認することはできなかった。
それほど歴史のある居館跡でもないので、通りかかったついでに寄る程度の館跡であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.789044/140.123448/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
佐良土館は、那珂川と箒川の合流点近くに築かれた居館跡である。豊臣秀吉の小田原攻めの際、那須氏の当主那須資晴は逡巡して参陣しなかったため、所領を没収、改易されて、わずかに福原庄に5千石を給されて佐良土に館を築いて蟄居隠棲した。それがこの佐良土館である。ただ、このとき初めて築かれたのではなく、元々あった居館を整備した可能性もあるようだ。
現在は宅地や畑になっており、土塁もかなり削平されてしまっているので、遺構の残存状況は良いとはいえない。それでも土塁跡が一部に残り、周囲には堀跡と思われる地形も残っている。ただ夏場なので雑草が生い茂り、堀の遺構を明確に確認することはできなかった。
それほど歴史のある居館跡でもないので、通りかかったついでに寄る程度の館跡であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.789044/140.123448/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0
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