桜町陣屋(栃木県二宮町) [古城めぐり(栃木)]
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桜町陣屋は、名将二宮尊徳の居城である。なーんてのはもちろんウソで、どこの町の小学校に行っても校庭に銅像の建っている二宮尊徳(金次郎)が、農村復興のため居住した陣屋跡である。もともと小田原藩で、富士山の宝永大噴火後の農村復興に尽力し、大きな成果を挙げたとこと見込まれて、小田原藩の分家である旗本の宇津家の桜町領(現二宮町)の復興を任された。
現在二宮尊徳の住んだ陣屋跡が国指定史跡となり、陣屋が復元されて一般開放されている。面白いのは、陣屋敷地入り口に土塁があるが、枡形虎口になっているのである。太平の世になんで?と思うが、江戸期には軍事的要請を度外視してしきたりとしてそのように作るようになっていたのであろう。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.408211/140.014572/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
桜町陣屋は、名将二宮尊徳の居城である。なーんてのはもちろんウソで、どこの町の小学校に行っても校庭に銅像の建っている二宮尊徳(金次郎)が、農村復興のため居住した陣屋跡である。もともと小田原藩で、富士山の宝永大噴火後の農村復興に尽力し、大きな成果を挙げたとこと見込まれて、小田原藩の分家である旗本の宇津家の桜町領(現二宮町)の復興を任された。
現在二宮尊徳の住んだ陣屋跡が国指定史跡となり、陣屋が復元されて一般開放されている。面白いのは、陣屋敷地入り口に土塁があるが、枡形虎口になっているのである。太平の世になんで?と思うが、江戸期には軍事的要請を度外視してしきたりとしてそのように作るようになっていたのであろう。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.408211/140.014572/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:陣屋
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