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加園城(栃木県鹿沼市) [古城めぐり(栃木)]

DSC02723.JPG←主郭周囲の横堀
 加園城は、加園地区に勢力を持っていた土豪渡辺氏の居城である。渡辺氏は小土豪の常として、周辺勢力の宇都宮氏、壬生氏、皆川氏、小山氏などの間を揺れ動きながら生き延びていたようである。1523年に行われた宇都宮忠綱と皆川宗成の一大決戦、河原田の戦いでは当初宇都宮方として参加していたが、皆川氏を支援する小山氏・結城氏の同族連合は、宇都宮勢の背後に回り込み、加園城・南摩城の奪取を目論んだ為、渡辺右衛門尉は小山氏に降ったと言う。(皆川正中録)その後は小山氏に従っていたらしく、1561年に上杉謙信が関東に出陣すると、渡辺右衛門尉忠之は小山氏に従って出陣し、碓氷峠で討ち死にしたらしい。その後の事績は不明である。
 加園城は鹿沼の加園地区の後背を押さえる山城である。比高は70m程であるので、それほど峻険な城という感じではない。民家の裏から登るとすぐに道が消えてしまうので、仕方なく斜面を直登するが、この山は石灰岩採掘場になっているだけあって、急斜面に石灰岩の破片がゴロゴロしていて登り辛い。ようやく登りきるとそこはもう加園城の城域で城の西側曲輪群に当たる。城は主郭を中心とし、その南に縦長のニノ郭を置き、左右両側に曲輪群を配置していたようである。特に西側の曲輪群は独立した櫓台を持ち、その周辺に腰曲輪と土塁をめぐらしている。かつての大手道はこの西側曲輪群とニノ郭との間を通っていたようで、大手道に沿って広い曲輪と木戸跡らしい小土塁を見ることができる。主郭の周囲には規模の大きい横堀が一周し、その外を土塁が取り巻いていて、主郭切岸の高低差も大きくなかなか壮観である。主郭も周囲を大きな土塁が取り巻いており、重厚な備えを示している。主郭内部には石組みの井戸跡を見ることもできる。主郭周囲の横堀はそのままニノ郭の東側を走っていて、更にその東側にも曲輪や堀などの遺構があるようであるが、藪がひどくそこまでは行かなかった。主郭背後には横堀を挟んで小さな曲輪と櫓台、堀切などがあるが、こちらも藪がひどく遺構の確認が容易ではない。
 遺構が良く残る見事な城で、特に主郭周囲の横堀は圧巻である。しかし全体に冬場でも藪が多いのが惜しまれる。夏場の訪城は無理であろう。ニノ郭南側は石灰岩採掘で削り取られているが、今後遺構は保護されるのであろうか?不安である。
西側曲輪群とそこへ延びる土塁→DSC02661.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.563193/139.697222/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城
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take

この規模のお城は、全く忘れ去られるか、史実と無関係に
観光客目当てで復元(開発)されるか、いずれかなんでしょうね。
by take (2009-05-06 10:33) 

アテンザ23Z

最近は無謀なテーマパーク化は鳴りを潜めるようになってきましたが、
乱開発による遺構破壊は各地で続いています。
文化財保護に力を入れない自治体には、残念でなりません。
by アテンザ23Z (2009-05-08 01:16) 

ノリパ

道なき斜面を登られたんですね。お疲れさまです。井戸もあるようなら
重宝されたお城なんでしょうね。
by ノリパ (2009-05-09 18:21) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
そこそこ規模の大きい城なので、
城主が実際に住んでいた山城ではないかと思います。
by アテンザ23Z (2009-05-10 01:30) 

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