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一色氏館(埼玉県幸手市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC01732.JPG←陣屋稲荷
 一色氏館は幸手城とも言い、鎌倉公方足利氏の家臣幸手一色氏の居館である。一色氏は足利氏の一族で、その姓は足利氏が鎌倉時代に守護を務め第二の本国ともした三河の一色郷に由来する。足利氏の一族に三河の地名を姓とするものが多いのは、足利氏が三河に一大勢力を築いていたことによる。細川・吉良・今川・仁木などである。鎌倉時代に鎌倉と京を結ぶ東海道諸国の中で、執権の北条一門以外が守護を務めていたのは、三河の足利と近江の佐々木だけで、それだけ足利氏が幕府内で根強い勢力を持っていたことを物語っている。そして足利氏がこの東海道の要地を押さえ、京の情報をいち早くキャッチしやすかったことが、後の尊氏の倒幕の成功へと繋がっていくのである。

 話はそれたが、一色氏は三河に土着したそうした足利一門の一つであり、室町幕府成立後は九州探題にも補任され、3代将軍足利義満が定めた格式では三管四職に名を連ねた名門であった。幸手一色氏は、おそらくは尊氏が関東の押さえとして鎌倉府を置いた時、一色氏の傍流を鎌倉府に残したものであろうか。以後、関東の一色氏は古河へと落居変転した鎌倉公方(以後、古河公方と呼ばれる)に付き従い、古河公方家の宿老の一人として重きを成した。小田原北条氏の勢力が南関東を圧し、古河公方にもその影響力が及んで北条氏の血を引く足利義氏が古河公方となると、古河公方家中の分裂にもかかわらず、幸手一色氏の当主直朝・義直父子は一貫して義氏に忠勤を励んだ。1590年に北条氏が滅びると、一色義直は徳川家康に仕えたが、後に下総に知行地を与えられて移り住んだと言う。

 一色氏館は、現在は市街化によって全ての遺構が湮滅し、その形状を知ることはできない。ただ、館跡と思われる位置から南東の方角に祀られた陣屋稲荷は一色稲荷とも呼ばれ、一色氏の守り神として祀られた氏神であったという。今は幸手駅の近くにこの陣屋稲荷が残るのみである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.073852/139.716461/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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fuzzy

幸手は旧日光街道の宿場町で権現堂桜堤が有名ですね、平将門の首塚もあるので、桜の季節に散策がお奨めでしょう。しかし一色氏は名門の武家です、神社しか残っていないのは残念です。
by fuzzy (2009-12-14 15:31) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
えっ、幸手に将門の首塚があるんですか?知りませんでした。
でも首塚って、東京丸の内にあるのではなかったでしたっけ・・・?
まぁ、伝承でしょうから。
by アテンザ23Z (2009-12-23 21:52) 

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