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小山田城(東京都町田市) [古城めぐり(東京)]

DSC07083.JPG←本郭と二ノ郭間の堀切
 小山田城は、秩父氏の庶流小山田氏の居城である。小山田氏は、武蔵守平将常5代の孫秩父重弘の次男有重が小山田荘に住んで小山田氏を名乗ったことに始まり、有重は1171年に小山田城を築いたと言う。また、子の二郎重義を小野路城に配した。その後、1205年に有重の長男稲毛重成が、同族の畠山重忠を讒訴した為に誅殺され、小山田氏は没落した。後の南北朝期に新田義貞の挙兵に加わり、湊川の合戦で義貞を救って討死した小山田太郎高家は、重成の弟行重の後裔と伝わっている。室町時代には、長尾景春の乱で長尾方に対する扇谷上杉氏の拠点として重視されるなど、小山田城は扇谷上杉氏の城として使用された。この時には、1477年3月に長尾勢によって小山田城は攻め落とされた。その後の歴史は定かではない。因みに、武田信玄の時代に甲斐郡内を本拠として勢威を振るった小山田氏は、同族であったと言う。

 小山田城は、大泉寺背後の山に築かれており、比高が20m程度と低い為平山城の分類に入っているが、その縄張は山城のものと見た方が良い。それほどの広さを持たない3つの曲輪を連ね、間を堀切で分断した連郭式である。しかし現在大泉寺の羅漢像がたくさん並べられた散策路になっているせいか、堀切はどれもかなり浅くなっている。だが元々大した規模ではなかった様だ。本郭内は削平が甘くデコボコしているが、これも後世の改変の可能性がある。しかし二ノ郭との間の堀切に面して低い土盛があるのは、土塁の遺構なのであろう。本郭西側には横堀と、土橋で連結された帯曲輪が防御を固めている。二ノ郭には目立った防御構造はなく、二ノ郭内部の西の方には内枡形らしい土塁状の遺構が見られる。堀切等の防御構造が少なく、あっても規模が小さいので、かなり古い形態の城の様に感じられる。本当にこの城が扇谷勢の重要拠点として使用されたのか、その縄張から見ると多少の疑問を持たざるを得ないと言うのが、正直なところである。

 尚、小山田城は大泉寺檀家以外の無断での入山は禁止されており、訪城の際には大泉寺の方に一声掛ける必要がある。声さえ掛ければ気軽に入山を許可して頂ける。
本郭西側の横堀→DSC07103.JPG
DSC07078.JPG←二ノ郭の枡形土塁

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.599880/139.411408/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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