SSブログ

関戸城(東京都多摩市) [古城めぐり(東京)]

DSC07232.JPG←現在の関戸城天守台付近
 関戸城は、鎌倉街道を扼する山城である。多摩川に面し武蔵野台地を一望できる絶勝の地であることから、鎌倉幕府以来の物見台的城塞や狼煙台であったと考えられている。北の府中分倍河原から多摩川を渡って南の関戸に至る地域は、中世の関東における要地で、この地をめぐって幾多の戦いが繰る広げられた。1333年上野の野から挙兵した新田義貞が鎌倉を目指して疾風の様に南下すると、得宗北条高時の弟泰家を総大将とする鎌倉幕府軍がこの地に拠って防衛戦を展開した(分倍河原の戦い、関戸の戦い)。この時泰家が拠ったとも、北条勢を敗走させた後義貞が陣を敷いたとも言われる関戸の砦が関戸城である。また1335年の中先代の乱の際も、この地域で激戦が展開された。その後も、足利尊氏・直義兄弟の内乱(観応の擾乱)に乗じて新田義宗が挙兵した武蔵野合戦(1352年)、鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実が戦った永享の乱(1438年)、扇谷上杉定正と山内上杉顕実と戦った明応3年の戦い(1494年)等でも多くの軍勢が往来し、要害の地として重視されてきた。

 関戸城は現在、聖蹟桜ヶ丘の住宅街となっていて、かつての城址の面影はない。城域の西端には金比羅宮があり、この付近が天守台と呼ばれている。住宅街の東には山林が残り、関戸城の一部であったと考えられるが、フェンスで囲まれているし住宅街の只中なので、カメラを持ってこの中に突入するのはさすがに憚られる。周囲を俯瞰できる高台にある地勢はそのままであり、城を築いた必要性が現在でも良くわかる。しかし歩道脇に標柱がなければ、ここが城跡であったと思う人はいないであろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.644202/139.445482/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


新田義貞 (人物叢書)

新田義貞 (人物叢書)

  • 作者: 峰岸 純夫
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2005/05/01
  • メディア: 単行本


nice!(6)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 6

コメント 2

fuzzy

私の住まいの近くには、川越夜戦・小手指ヶ原の古戦場など中世の古戦場が多く存在します、鎌倉上道を駆け上がる新田勢と鎌倉防衛の北条勢の戦いに所縁が在るのですが、中世から戦国まで歴史的には非常に興味ある時代と感じますが、近郊には面影を残すものは少ないですね。
by fuzzy (2010-03-31 13:37) 

アテンザ23Z

>fuzzyさん
埼玉、即ち古の武蔵国はかつては関東の歴史の
中核に位置していましたね。
その重要性は江戸時代に入ると中山道の宿場町として、
よりいっそう増したのでしょう。
それが返って、中世の面影を失わせることになってしまったのは、
ちょっと残念ですね。
by アテンザ23Z (2010-04-01 00:37) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント