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山家公頼邸宅跡(愛媛県宇和島市) [その他の史跡巡り]

DSC01669.JPG←宇和島城下に建つ和霊神社
 山家清兵衛公頼は、宇和島伊達藩の家老である。元々山家氏は山形城主最上氏の家臣で、最上義光の妹義姫が伊達輝宗に嫁いだ際に、その家来として山家氏が下されたようである。(最上義光に殉死した家臣に、山家河内守の名が見える。おそらく同族であったのだろう。)後に山家氏は政宗の信頼を得て伊達家の重臣に列座し、政宗の庶長子秀宗が宇和島藩を立藩した際、山家公頼は長男の喜兵衛に仙台山家の家を継がせ、自身は二男以下の家族を連れて、秀宗の重臣として伊予の地に下され、総奉行として藩の創設に努めた。宇和島伊達藩はその創設に当たり、仙台藩から6万両の借財を負った為、石高10万石の内、3万石を返済に当てる必要があった。このため藩財政は当初より逼迫し、財政対策に苦慮していた公頼は、家臣俸禄の削減など緊縮財政を進めたが、1620年6月30日夜、反対派に襲撃されて、その子3人と共に命を落とした。これは公頼を煙たがった秀宗による主命であったとも伝えられている。この事件は和霊騒動と呼ばれ、これを伝え聞いた伊達政宗は激怒し、一時は宇和島藩の改易を幕府に願い出るほどであったと言う。公頼の死後、桜田玄蕃をはじめとする公頼の政敵達が不慮の事故で相次いで死亡し、秀宗も病床に伏したため、秀宗は清兵衛邸跡に和霊神社を創建し清兵衛の霊を慰めた。

 山家公頼邸宅跡は、現在でも和霊神社が置かれている。宇和島城の東麓、追手門をくぐって三ノ丸に向かう途中の位置にあったことから、その藩内での地位の高さが窺われる。現在は遺構は何も残っていないが、かつては立派な武家屋敷が建っていたのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/33.218944/132.566904/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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