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横地監物屋敷(東京都八王子市) [古城めぐり(東京)]

DSC03963.JPG←宗関寺に残る横地堤
 横地監物屋敷は、八王子城主北条氏照の重臣横地監物景信の屋敷である。八王子城下の根小屋地区の入口にあり、屋敷地付近には大城戸があったと伝えられている。景信は氏照配下の滝山衆の中でも筆頭重臣としてその信頼厚く、国境警衛の烽火台であり現在はハイキングコースとして知られる景信山にもその名が残っている。1590年の八王子城の戦いの際には、小田原城に籠った主君に代わって中山勘解由家範・狩野一庵・近藤出羽守助実らを指揮して八王子城を死守奮戦した。しかし、松井田城で豊臣方に降って八王子城攻めの先峰を務めた大道寺政繁等の手引きによって、濃霧の中、搦手口より攻め込まれて1日で落城した。景信は、城を脱出して檜原城に入って更に抗戦を続けたが、これも落とされて再度城を脱出した景信は、重傷を負って蛇沢という所で自刃したと伝えられている。

 横地監物屋敷は、現在の宗関寺の場所にあったと伝えられている。宗関寺の東側には横地堤と称される土塁がわずかに残り、往時はこの部分に大城戸があったらしい。現在でも車道がこの宗関寺の所で屈曲しており、八王子城最初の防備の要となっていた様である。その屋敷の位置を見ただけでも、それだけ氏照の景信に対する信頼が厚かったことが伺える。尚、宗関寺には水戸徳川家家老の中山信治の寄進した梵鐘が残っているが、信治は八王子城で自刃した中山勘解由家範の孫に当たる。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.657924/139.267663/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=red&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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