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石垣山城(神奈川県小田原市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC06066.JPG←本丸から望む腰曲輪と小田原城
 石垣山城は、石垣山一夜城とも呼ばれ、豊臣秀吉が小田原の役の際に本営として築いた総石垣の城である。秀吉築城以前にも、この地に城があったとも言われている。1590年、北条征伐に東下した秀吉は、堅城山中城をわずか半日にして抜き、4月5日、箱根湯本の北条氏の聖地、早雲寺に本陣を定めた。そしてすぐに笠懸山に、城の普請に取り掛かり、4万人を動員し、80日間を費やして築かれた。この城で、秀吉は側室の淀殿や千利休を招き、茶会などを催して、小田原城を眺めつつ遊びに興じていたと言う。一夜城と呼ばれる所以は、築城に当たって山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を貼って白壁の様に見せかけ、一夜の内に周囲の樹木を伐採して、あたかも一夜にして城が出現したと北条方に思わせた為と言う。この城の出現に戦意を喪失した北条方は、間もなく降服したとされる。

 石垣山城は、前述の通り全山総石垣の城で、本丸には天守台を築いて天守閣を立ち上げ、周辺にも二ノ丸・西曲輪・南曲輪・北曲輪などを配置し、西側には大堀切(太閤道)を挟んで出城を備えた、本格的な造りの城である。各所の虎口は桝形を形成し、櫓台を備えていたと考えられ、その形態から考えれば単なる陣城ではなく、完全な近世城郭である。関東大震災などによって、崩落している石垣も多数あるが、南曲輪周辺の石垣などは穴太積みの石垣が良好に残っている。また井戸曲輪にも内側に石垣が積まれ、見応えがある。井戸曲輪の石垣は、内側だけでなく外周にも積まれている。井戸曲輪の石垣の東側にも3段の腰曲輪があるなど、現地解説板の縄張図より城域は広かったようである。

 尚、一夜城出現の話であるが、石垣山城の築かれた笠懸山は小田原城から目と鼻の先にあり、これほどの大規模な城普請が小田原城内に全くわからなかったとは考えにくい。北条方も城が造られていることには気付いていたが、ある日姿を表したのが総石垣の本格的城郭だったことで、秀吉の更なる長期攻囲戦の構えが明確になり、奥州伊達氏も秀吉に膝を屈したことで完全に孤立し、先の望みを失ったというのが実情ではなかろうか。それにしても、農民に高率の税を掛けて、莫大な財力を背景に酔狂で戦を行う秀吉っていうのは、本当に嫌なやつである。(秀吉ファンの方、ごめんなさい。)
本丸周囲の石垣跡→DSC06107.JPG
DSC06174.JPG←井戸曲輪外周の石垣

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.235367/139.127244/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川

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