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山下長者屋敷(神奈川県平塚市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC08214.JPG←西側の土塁
 山下長者屋敷は、謎の居館跡である。方形に近い単郭の居館で、鎌倉時代初期に作られたものと推測されている。中世土豪の居館であるが、山下長者の屋敷跡と古くから伝えられており、多くの伝説を秘めている。その一つとして、日本3大仇討の一つとして知られる曽我兄弟の仇討に関連して、富士裾野で父の仇工藤祐経を討った曽我兄弟の兄、十郎祐成を助けた恋人の虎御前は、この館で生まれたという伝説がある。

 また山下長者屋敷は、1510年の権現山合戦の時に、小田原城を出立した伊勢宗瑞(北条早雲)が後詰めとして取り立てた高麗山城と住吉要害の内の住吉要害のことであろうと、日本城郭大系では推測している。しかし山下長者屋敷は平地の居館であり、要害と呼ばれる程の地勢と縄張りとは考えにくい。ただ、高麗山とは指呼の間にあり、両者が連携して活動するには確かに好適な場所で、「要害」でイメージされる「軍勢が籠る城」ではなく、軍勢の中継拠点であったとすれば、ありうる話であろう。

 山下長者屋敷は、現在住宅地の只中にあり、屋敷自体も民家の敷地となっている。敷地周辺には、かなり失われているものの一部の土塁が良好に残り、更に堀跡らしい跡や櫓台も確認できる。北東側には大きな横矢が掛かり、ここに東門があったようである。現在でも民家の門となっていて、往時の雰囲気を彷彿とさせる。この北東部の横矢は、居館にしては大掛かりなもので、鬼門除けと同時に故城を取立てて要害性を増したと考えれば、先の「住吉要害説」も考えうるのだろう。西側の櫓台周辺の土塁と空堀跡は、竹薮の中にある古色蒼然とした見事なもので、宅地の前の南側土塁よりこちらの方が古城の雰囲気があり、私の好みである。
南側の土塁→DSC08211.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.329709/139.311672/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:居館
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ここらに住んでいる名無し

今見えてる半分くらいアパートになってます
by ここらに住んでいる名無し (2017-08-26 23:25) 

アテンザ23Z

>ここらに住んでいる名無しさん
コメントありがとうございます。
先程Googleストリートビューで見たら、見事に南側土塁が東側半分削られてしまっていました。せっかくの貴重な文化財なのに、残念です。
by アテンザ23Z (2017-08-27 10:41) 

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