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朝倉義景墓所(福井県大野市) [その他の史跡巡り]

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(2004年9月訪問)
 越前の戦国大名で一乗谷城主朝倉義景は、1573年8月、刀禰坂の戦いで織田信長の軍勢に大敗すると、一旦は本拠の一乗谷に帰陣したが、従兄弟の大野郡司朝倉景鏡の進言を容れて、一乗谷を捨てて越前大野に落ち延びた。しかし景鏡の裏切りによって、8月20日宿所の六坊賢松寺を囲まれ、自刃して果てた。また、残された遺児愛王丸 、愛妾の小少将、義景母の光徳院は捕らえられ、信長の命によって処刑された。
 朝倉義景墓所は、応仁の乱以来、5代102年に渡って越前に覇を唱えた戦国大名朝倉氏の滅亡の地である。ただ実際に義景が死んだのは違う場所で、現在の墓所は1800年に曹源寺境内に朝倉家旧臣の松田氏の子孫が建立した五輪塔を、1822年にこの地に移したものである。義景墓の周りには、殉死した側近の高橋景倍・鳥居景近の墓や、愛王丸・小少将・光徳院の墓が並んでいる。住宅地の一角の木立の中にひっそりと墓所があり、時の流れを忘れさせてくれるようである。義景に、もっと天下を狙う覇気と武略があったならば、日本の歴史はまた違う道を辿ったことだろう。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.981097/136.485611/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:墓所
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