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住吉城(神奈川県逗子市) [古城めぐり(神奈川)]

DSC02336.JPG←東に張り出した尾根の堀切
 住吉城は、伊勢宗瑞に岡崎城を落とされた三浦道寸が立て籠った城である。1495年、謀略を以て扇谷上杉氏の重臣大森藤頼の居城小田原城を奪取した伊勢宗瑞(北条早雲)は、伊豆から相模に本格的に進出した。そして相模平定を目指す宗瑞は、1510年、山内扇谷両上杉氏に挑んだが、権現山合戦で大敗した。両上杉の大勢力に挑むのが時期尚早と悟った宗瑞は矛先を変え、扇谷上杉氏の重臣で相模最大の勢力であった三浦氏討滅に的を絞った。1512年、三浦道寸の居城岡崎城を猛攻の末に攻め落とし、逐われた道寸は住吉城に籠った。しかしこれも支えきれず、間もなく新井城に逃れた。住吉城はこの後廃城になったと考えられる。

 住吉城は、正覚寺の背後の比高65mの狭い尾根上に展開している城である。地図や城郭サイトでは正覚寺の上に登って行くとある住吉神社が住吉城とされている。(以前は住吉神社に住吉城の解説板があったようだが、現在はなくなっている。)ここも曲輪の一つだとは思われるが、実際にはその上の尾根に遺構群が眠っている。ただその尾根筋に行く方法が殆ど無い。最もアプローチしやすそうなのは国道134号線脇の小道から登った先であるが、そこは民家の裏に当たり、とても足を踏み入れられる場所ではない。唯一、人から怪しまれることなく行けるルートは、住吉神社の北70m程の山腹にある歩行者用トンネルの脇の斜面を直登することである。けっこう斜度があるため直登も容易ではないが、そこは湯ノ沢城攻略の経験がモノを言う。これなら行けると判断してトライした。

 尾根上は2つのピークがあり、それらのピークを中心にして狭小な曲輪が幾つかある。基本的には物見の様な小さな主曲輪の周りを腰曲輪で囲んでいるものである。この尾根から東に張り出している支尾根をたどって行くと、深さ4m程もある立派な堀切が残っていた。その南側は平場が広がっていたようであるが、そのすぐ先は「シーサイドコート逗子望洋邸」というマンションの敷地に変貌していて、元々どのような遺構だったのかはよくわからない。ここで元の尾根に戻って、南に尾根筋を下って行くと、ここにも小さな堀切が1本確認できた。この辺は薮が深く、更にその先は先程のマンション敷地で掘削されて遺構が湮滅している上、鉄条網で柵が作られていたので、そこで引き返した。この他、日本城郭大系の縄張図では、北と東に連なる尾根も城域だったようだが、民家の真裏に当たることもあって確認していない。いずれにしても狭小な曲輪群を連ねただけの要害であった様で、とても多数の兵を置ける城では無かったろう。三浦道寸が急場しのぎで籠ったものの、支えきれずに放棄した城としては、こんなものだったのだろう。因みに、尾根筋から先ほど登った斜面を降りる際、茨のある木を握ってしまい、手を離した途端5m程も滑落してしまった。登る人はあくまで自己責任で行って欲しい。
主郭周囲の腰曲輪→DSC02357.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.299891/139.554037/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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