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二俣川・鶴ヶ峰古戦場(神奈川県横浜市旭区) [その他の史跡巡り]

DSC00647.JPG←古戦場の碑
 二俣川・鶴ヶ峰古戦場は、鎌倉幕府の有力御家人畠山重忠の終焉の地である。重忠は、源頼朝の忠臣として鎌倉幕府創設に尽力し、智・仁・勇を兼ね備えた名将として有名を馳せた。その事績は畠山重忠館の項に記載する。御家人の中でも声望が高かったが、1205年、初代執権北条時政の謀略により謀反の疑いをかけられ、菅谷館を出立し百余騎の小勢で鎌倉に向かう途中、時政の子北条義時率いる数万騎とも言われる幕府軍に二俣川で襲撃された。死を覚悟した重忠は、小勢ながらその勇名に恥じない血戦を繰り広げ、弓の名手愛甲三郎季隆の矢に当って壮絶な最後を遂げた。時に42歳であったと言う。
 二俣川・鶴ヶ峰古戦場は、現在の旭区役所近辺に当たり、その戦いにまつわる史跡が付近に散在している。また、北条方の大軍が展開した地には、「万騎が原」の名が残っている。

<古戦場碑>
 鶴ヶ峰駅交差点の脇に、昭和30年に建てられた「畠山重忠公碑」が建ち、「鶴ヶ峰・二俣川合戦の地」の標柱がある。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.475210/139.544166/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<首塚>
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 重忠の首が祀られた所。七重の石塔が建っている。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.474843/139.545389/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<首洗い井戸>
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 首塚の30m程南の区役所駐車場の端に、首洗い井戸の標柱と解説板が建っている。かつて重忠の首を洗い清めたと伝えられる井戸があったが、帷子川の流れが変わって失われたと言う。現在は井戸は残っていない。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.474476/139.545261/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<駕籠塚>
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 重忠の内室「菊の前」は、合戦の報に接して急ぎ駆けつけたが、重忠戦死を聞いて自害し、駕籠ごと埋葬されたと言う。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.479316/139.544789/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<六つ塚>
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 薬王寺に、重忠を初め、討死した一族郎党134騎を埋めたという6つの塚がある。解説板はあったが、どれが塚だかよくわからなかった。

場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.478792/139.542021/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<すずり石水>
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 重忠が鶴ヶ峰に陣を張った際、この水で墨を擦ったと言われている。谷戸の奥に当たり、昭和初期まで崖から湧き水があったらしいが、現在は住宅地の只中で、標柱が建っているだけで往時の面影はない。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.480312/139.542385/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

<矢畑・腰巻>
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 合戦の際に、北条方から射られた矢が辺り一面に落下して、矢の畑の様になった場所と言う。現在は小道の脇に標柱があるだけである。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.477132/139.539446/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

 二俣川・鶴ヶ峰古戦場の関連史跡は、かなり広い範囲に散在しており、歩いて回ると1時間半~2時間ほども掛かる。ただ駐車できるスペースがほとんど無い場所が多いので、車での行動はお薦めはできない。往時の面影は微塵もないが、重忠が今でもこの終焉の地で慕われていることがよくわかる。
タグ:古戦場
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evergreen

畠山重忠への思いいれが伝わってくるようです。

重忠は、
鎌倉武将ブームが起こったら、
義経と人気を二分するであろうスーパースターですからね。

歌舞伎では、
常に清廉潔白の正義の象徴(梶原景時が悪役)ですから、
江戸時代の人気は相当なものだったろうと思います。

by evergreen (2012-01-31 10:59) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
お褒めいただきおそれいります。
重忠は、鎌倉・室町期の関東武士の間でも
人気武将だったほどですから、
江戸時代には現代よりも人気があったでしょうね。
by アテンザ23Z (2012-01-31 20:16) 

terutora

楽しいHPですね、畠山重忠の生涯には感銘を受けます。
正直で真面目な人間が馬鹿を見るのはいつの時代も変わらない。まともで美しい心の人間がどんどん殺され、ずるがしこい保身人間が増殖していく。ホモサピエンスもそろそろ終了なんじゃないかと絶望する日々です。北条氏の悪逆非道ぶりは目に余ります。源氏勢力はほぼ全員殺されてます。政子と出会って結婚さえしなければかなり違った歴史になったような、と無意味に考えてしまいます。
日本のTVでも海外のドキュメンタリーなみに過去の戦や武将を詳細に科学的に分析した番組を作ってくれと思いますが無理でしょうね。
映画にでもしたらすごいクライマックスになって名作になりそう。
まあ知っててわかる人だけ心を熱くすればいいか。
by terutora (2015-04-17 02:10) 

アテンザ23Z

>terutoraさん
当ブログにご訪問頂きありがとうございます。頼朝亡き後の北条氏はやりたい放題になってしまいましたね。頼朝がもっと猜疑心が薄く、範頼や義経を排斥せずに頼家補佐の藩屏としていれば、このような専横も防げたでしょうに。しかし結局、合議制による集団指導体制を敷いて、御成敗式目を定めて武家統治を安定ならしめたのが、北条泰時であったというのも歴史の事実であり、北条氏という支族に対する評価が難しいところです。
畠山重忠の生涯を扱ったドラマや映画というのは、確かにあれば面白そうです。一気に人気が沸騰するかもしれませんね。
by アテンザ23Z (2015-04-18 18:40) 

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