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菅谷館(埼玉県嵐山町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC00879.JPG←本郭虎口の土橋と櫓台
 菅谷館は、畠山重忠ゆかりの城館である。鎌倉幕府の史書「吾妻鏡」によれば、1205年に重忠が幕府執権の北条氏に謀殺された武蔵二俣川の合戦の際、重忠は菅谷館から出発したと記されていると言う。その菅谷館がこの城館のことであろうと比定されている。その後の歴史は定かではないが、山内、扇谷両上杉氏が争った長享の乱の際、この近辺において「須賀谷原の戦い」という激戦が展開された。重要な拠点となっていたようである。その後、小田原北条氏の武蔵支配の拠点の一つとして、現在に残る城郭の規模に整備拡張されたのではないかと推測されている。
 菅谷館は、名称こそ「館」となっているがその規模は実際には城郭であり、菅谷城と呼ぶべきものである。都幾川左岸の台地上に築かれた平城で、すぐそばを鎌倉街道が通るという交通の要地であった。元は現在の本郭に当たる部分だけの単郭の居館であったものが、戦国時代を通して整備拡張されたものと考えられている。城跡は現在、国の指定史跡になっているため、整備が行き届いており、遺構の確認が非常にしやすい。本郭の北側を二ノ郭、三ノ郭、西ノ郭などで取り巻いて防御した構造で、本郭から発展した歴史が思い浮かべられるようなわかりやすい縄張りである。その点は、青鳥城によく似た構造である。各曲輪の周囲には土塁と空堀がよく残り、特に本郭の北側の虎口には横矢の掛かった櫓台と土橋の遺構が明瞭である。この櫓台は、近代城郭でいう「左袖」に相当する。松山城などと比べれば堀は比較的単調に掘られているが、規模はどれも大きい。しかも城の外周の外堀まで明確に残っており、きわめて貴重な中世城郭遺構であろう。
外周を囲む外堀→DSC00918.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.035392/139.322605/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

きれいに残っていますね。葉っぱも落ちていて見やすいですし。
すごそうなところですね。
by ノリパ (2009-03-29 19:26) 

アテンザ23Z

>ノリパさん

関東の土の城は、
西国の石垣の城とはまた異なる趣があって、
なかなかいいものです。
でも長野あたりの山城で石垣を見ると、
「オー、すげー」ってな感じで写真取りまくっちゃいますが。
by アテンザ23Z (2009-03-29 22:05) 

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