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清滝城(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

DSC05947.JPG←主郭手前の堀切、上は主郭
 清滝城は、奇妙山山頂に築かれた南北朝時代の山城である。鎌倉幕府が滅亡し、建武の新政が始まって間もなくの1335年、鎌倉で自刃した最後の得宗北条高時の遺児、時行を擁して北条残党が信濃で挙兵した。いわゆる中先代の乱である。一時は関東を席巻した時行軍であったが、東下した足利尊氏によって鎮圧され、中先代の乱自体は短時日で収束した。しかし北信濃には、塩田北条氏以来、北条氏恩顧の豪族が多く、新政に叛旗を掲げて各地に立て籠もった。清滝城もその一つで、1336年に足利方の小笠原貞宗・村上信貞らが清滝城を攻めたことが、同時代の軍忠状などによって知られている。勝敗の行方や籠城者は不明であるが、諏訪氏系の土豪関谷氏・寺尾氏・保科氏らではないかと推測されている。その後の歴史も不明で、戦国期には人里離れた山奥の城のため、廃城になっていたと考えられる。

 清滝城は、標高1100mの奇妙山にあり、峻険な尼巌城よりも更に320mも高所に築かれている。キャッスラーでこの城に登っているのは、ネット上で見る限りらんまるさんぐらいなものでほとんど城に関する情報がない。しかし奇妙山トレッキングコースがあり、標識なども整備されているので、道に迷う事無く登城することができる。しかしその道程は急峻で、心臓破りの急坂を延々登らなくてはならない。当然熊の出没確率も高いと思われるので、それ相応の装備と覚悟が必要であるが、途中の高見岩からの眺望は絶景で、眼下に尼巌城海津城鞍骨城など、周辺城塞群を一望できる。

 清滝城は、三角点のある山頂に主郭を置き、主郭背後に堀切2本とニノ郭等の小曲輪を連ねている。堀切は深さ1m程であるが、しっかりと普請されている。主郭西縁部には僅かに土塁が築かれ、主郭西側の段曲輪前にも堀切がある。その北西に伸びる尾根筋のずーっと先にも堀切と土壇らしきものがあり、更にその先にも3段の段曲輪らしい平場がある。しかしこの辺りは自然地形に近く、遺構かどうかは確信が持てない。一方、主郭から北東に伸びる尾根には、しっかりと削平された3段の段曲輪があり、その前面に堀切を穿ち、更に30mほど先にも堀切を入れている。その先の尾根は広く平坦で、位置的に物見台や馬場であったのではないかと想像される。遺構を見る限り、この北東の尾根筋の方が普請が厳重で、こちらが大手だった様だ。

 南北朝期の山城は、山岳ゲリラ戦が主体であるため、人里離れた山奥の高所に築かれることが多いが、清滝城もこうした南北朝期の山城の特徴をよく伝えている。一部の文献には、奇妙山城と言う名が記載されるが、清滝城と同一のものであろうか?また、日本城郭大系の記載とは清滝城の位置が若干異なっているが、これは大系筆者の誤認であろうか。文献上の不明点も多い城である。
主郭の土塁→DSC06002.JPG
DSC05963.JPG←主郭から見た堀切とニノ郭
北東尾根の段曲輪群→DSC05992.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.569003/138.242759/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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らんまる

ご紹介頂き、恐悦至極でござりまするw

懐かしいですねえ、春雷に阻まれて逃げ帰った苦い記憶が甦ります(笑)

日本城郭体系では奇妙山と清滝城は別の場所とし「長野県中世城館跡」でも同様な見解を示していますが、宮坂武男氏は同一の場所と断定し、尾根の南東の尾根先を清滝城とする説を否定しています。
小生も全く同感で、尾根先の平場をわざわざ別のものとして区別する意味など無いと思っております。

奇妙山に登ることで尼飾城がいかに優れた場所に位置し、信玄公が難儀していたかがわかるというもの。
キャッスラーとは黙々と各個撃破すべし・・・(笑)
by らんまる (2012-09-29 22:49) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
宮坂先生が同一の場所と断定しているのであれば、
間違い無いですね(笑)
それにしても、これほど良好な遺構があるのに、
大系で一切言及がないのは、不思議です。

各個撃破のキャッスラー。
私も負けないように頑張ります!
by アテンザ23Z (2012-09-30 21:37) 

富岡武蔵

初めまして、群馬に住んでいます。宮坂氏の著作を愛読し、本日、清滝城を攻めようとしましたが、滝本側からでは林道が途切れていて無理でした。トレッキングコ-スがあるようですが、教えてください。
by 富岡武蔵 (2013-09-22 20:19) 

アテンザ23Z

>富岡武蔵さん
こんにちは。私も復刻出版されている「信濃の山城と館」を予約購読していますが、載っている城の数があまりに多すぎて、どこを攻めるか迷ってしまいますね。

さて、清滝城ですが、私は尼巌城背後の尾根から登りました。この尾根に取りつくには、尼厳山南東麓の岩沢口から登るのが最短距離になります。この尾根を東に向かうと、途中私が「尼巌城東部砦」と呼称している三重堀切のある砦を経由して、奇妙山へと登っていけます。

尚、清滝城の縄張りから考える限り、山頂北東に伸びる尾根に登ってくる道が、往時はあったように思います。探せば、若穂保科地区方面から登る道があるかもしれません。
by アテンザ23Z (2013-09-23 09:52) 

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