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二ツ柳城(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

DSC03811.JPG←斜面上の竪堀状地形
 二ツ柳城は、室町中期に信濃で生起した大塔合戦で、守護小笠原勢が逃げ込んだ「大塔古要害」ではないかと推測されている城の一つである。元は、村上氏の庶流二柳氏が築いた城であったとされる。南北朝時代以来、一貫して足利方、尊氏方として活動した小笠原氏は、1399年に室町幕府より信濃守護に補任された。守護となった小笠原長秀は、守護権力を背景に有力国人衆に対して強権的な支配を推し進めた結果、1400年、信濃の有力国人衆(大文字一揆)が北信の雄村上満信を中心に反小笠原に立ち上がり、長秀と合戦となった。これが大塔合戦である。最初小笠原勢は横田城に入ったが、圧倒的な劣勢で、「大塔の古要害」に場所を移して300余人が20日間にわたって立て籠もった。しかし最後は食糧が尽きて自害したとされる。この小笠原勢が籠城した「古要害」が二ツ柳城であったというのが近年は有力な説となっている(従来は大当集落付近と考えられていた)。

 二ツ柳城は、現在二柳神社の境内となっている。篠ノ井の方田集落北方の丘陵中腹に位置し、眼下に平野を見下ろす高地である。神社周辺の地勢は城らしい雰囲気を濃厚に漂わせており、社殿の建つ高地の周囲を沢が天然の堀となって防衛線を形成している他、斜面には竪堀状地形も見られる。明確な遺構とは断定しがたいが、その地勢は城跡と考えるのに何ら不思議はない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.571768/138.120643/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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