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作左曲輪(静岡県浜松市中区) [古城めぐり(静岡)]

DSC00792.JPG←曲輪跡と思われる高台の平場
 作左曲輪は、浜松城の出丸である。独立した城郭ではないが、形態の上では浜松城とは区別されて扱われる事が多いとされる。徳川家康の重臣本多作左衛門重次が屋敷を構えていた場所である。重次は、家康の祖父清康の代から仕えた老臣で、家康の三河時代に高力清長、天野康景と共に三奉行の一人として活躍し、この3人を称して「仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野三兵」と謳われ、鬼作左と恐れられた。1572年の三方ヶ原の戦いの前には、家康から武田軍と長期籠城戦に陥った時の兵糧の心配を相談された重次が、「米は十分貯蔵してあります」と返答して家康を喜ばせた。後に家康は、その時の米蔵の位置に重次の屋敷を作ることを許し、1579年にはこの屋敷に城柵を設けて浜松城の搦手を防衛する出丸とし、作左曲輪と呼んだとされる。そしてその後も長く浜松城の西北の護りとなったと言う。
 作左曲輪は、現在浜松城北西の「作左の森」と呼ばれる公園に変貌している。広い窪地の中には起伏があり、高台になっている平場があって、その部分が曲輪だったのではないかと想像される。いずれにしても往時の地形からは大きく改変されており、遺構は不明瞭である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.712390/137.723869/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:居館
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