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中久喜城(栃木県小山市) [古城めぐり(栃木)]

DSC08803.JPG←本丸虎口と土塁
(2006年10月、2010年3月訪城)
 中久喜城は、下野の豪族小山氏の支城である。伝承によれば、1155年に小山政光が先祖藤原秀郷の由緒の地に築城したと言われるが、確証はない。南北朝時代末期に起きた小山義政の乱では、義政が立て籠もった鷲城の支城として、「岩壺城」の名で中久喜城が現れている。その後も戦国期を通じて支城として機能したと思われるが、豊臣秀吉の小田原の役で北条方に付いた小山秀綱は、役後に所領を没収されて没落した。一方、小山氏の同族結城晴朝は、徳川家康の次男で秀吉の養子となっていた秀康を養子に迎えて結城城を譲り、自らは中久喜城に隠居した。1601年に結城秀康が越前に転封となると、晴朝も越前に移り、中久喜城は廃城となった。

 中久喜城は、西仁連川と谷戸田の低湿地帯に挟まれた台地先端に築かれた城である。現在、城域中心部をJR水戸線が東西に貫通しているため、破壊を受け、その北側は住宅地に変貌している為、改変が進んでいる。しかし本丸のあるJR南側は遺構が比較的良く残っている。本丸内部は畑となっているが、周囲には土塁が残り、虎口の櫓台も明瞭に残っている。またJR北側にも本丸北西端の土塁と櫓台が残っている。住宅地と化した「西城」西辺部にも土塁や堀跡があるようだが、不審者と間違われても困るので、遺構は確認できていない。尚、本丸の東側の薮は不法投棄でゴミ溜めとなっているのは残念である。2010年に再訪した時には、小山市によって新たな解説板が設置されていたので、今後の整備に期待したい。
本丸外周の土塁→DSC08802.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.302122/139.839939/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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