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粟原城(埼玉県久喜市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC07620.JPG←粟原城付近の現況
 粟原城は、戦国時代に岩槻城の支城として機能した城である。元々は、鷲宮神社の発展と共に形成された社領領主の居館であったと考えられている。戦国時代中期に、小田原北条氏の勢力と越後上杉氏の勢力が関東で激突する様になると、粟原城もその抗争に巻き込まれることとなった。1560年、初めて関東に出馬した上杉謙信は、翌年3月、北条氏康の小田原城を大軍で包囲攻撃した。この時、粟原城主細萱民部少輔光仲は、70余人を率いて小田原城に詰めた。小田原城を攻めあぐねた謙信は軍勢を退き、その帰途、羽生城主木戸宮内少輔忠朝が北条方の粟原城と花崎城を攻め落とした。しかしその後、北条氏は着々と勢力を拡大し、天正年間(1573~92年)には、粟原城は北条氏の1級支城であった岩槻城の出城として機能していたことが、同時代文書から知られている。

 粟原城は、青毛堀川を挟んで鷺宮神社に隣接する平地上に築かれていたが、現在は畑や民家に変貌し、遺構は完全に湮滅している。畑には段差が残り、脇には土塁のような茂みも見られるが、遺構の名残かどうかは不明である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.099550/139.652485/&base=std&ls=std&disp=1&lcd=_ort&vs=c1j0l0u0f0
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