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水口楯(山形県朝日町) [古城めぐり(山形)]

IMG_2427.JPG←見応えのある三重竪堀
 水口楯は、歴史不詳の城である。水口十一面観音堂の裏にある、標高220m、比高30mの「楯山」に築かれている。伝承によれば、最上義光が八ッ沼城を攻撃した際、水口観音堂に一夜宿ったとも言われる。1600年の慶長出羽合戦の際には、鮎貝城を発した上杉軍の別働隊千人は、最上方の八ッ沼城に向かう途中、水口楯の前面の朝日川で八ッ沼城主望月隼人率いる最上勢の激しい抵抗に遭い、決死の突撃でようやく水口楯を抜いたと伝えられている。しかしこの後、上杉勢は八ッ沼城攻略にも手間取って時日を費やし、長谷堂合戦には間に合わなかったと推測されている。こうした歴史から考えると、水口楯は最上川西岸を通る街道筋と、その朝日川渡河点を扼する重要な城であったと思われる。

 水口楯は、現在「ときわ楯山歴史公園」となり、「常盤楯山を整備する会」によって綺麗に整備されている。山頂部に方形の櫓台を備えた小規模な主郭・ニノ郭を置き、東斜面に4~5段の腰曲輪を、また西斜面に帯曲輪と、川沿いの台地上に広い三ノ郭を置いている。ニノ郭の北側は堀切状の虎口空間となっていて、ここから東西の曲輪に城道が伸びている。この虎口の北側の土塁の向こうには、見応えのある三重堀切が穿たれ、そのまま東と西の斜面に長い竪堀となって落ちている。この三重堀切の北側も削平された外郭で、低い土塁が築かれている。城の北限は堀切も何もないのではっきりしないが、丘陵地の先に物見台状の高台があり、そこまでが城域だったと思われる。小規模な城であるが、西北西1.2kmの位置にある太郎楯にも長大な三重堀切があり、縄張り面での共通性を感じさせ、築城主体が水口楯と同じであったことを伺わせる。
手前から堀切状虎口・ニノ郭・主郭→IMG_2505.JPG
IMG_2514.JPG←水口楯の遠景
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.286106/140.122326/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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