深井城(千葉県流山市) [古城めぐり(千葉)]
←堀跡らしい溝状地形
深井城は、小金城主高城氏の支城である。古河公方の重臣で関宿城主であった梁田氏との領国の境目の城であり、高城氏は深井城に重臣を配置して防衛体制を敷いていたらしく、高城氏の一族安蒜備前守が城主であったと言われている。
深井城は、位置も明確ではないが、利根運河南岸の不動坊付近の台地上にあったと考えられている。この地は、1890年に運河が開削されたた為、地形が大きく改変されており、この時に深井城の主要遺構は破壊されたと見られる。しかし、はっきりしないものの不動坊の周辺には土塁状の土盛や空堀状の溝などが山林の中に確認でき、遺構ではないかと推測されている。
一説にはかなり広範囲に遺構が散在しているとも言われるが、古河公方を傀儡化して関東に号令していた小田原北条氏とは言え、利根川水系の要衝関宿城を押さえ、上杉謙信の援助を得て北条氏に抗していた梁田氏はかなりの難敵で、その動きを封じる為に高城氏に一大防衛拠点を築かせたことは有り得る話であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.914034/139.900453/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
深井城は、小金城主高城氏の支城である。古河公方の重臣で関宿城主であった梁田氏との領国の境目の城であり、高城氏は深井城に重臣を配置して防衛体制を敷いていたらしく、高城氏の一族安蒜備前守が城主であったと言われている。
深井城は、位置も明確ではないが、利根運河南岸の不動坊付近の台地上にあったと考えられている。この地は、1890年に運河が開削されたた為、地形が大きく改変されており、この時に深井城の主要遺構は破壊されたと見られる。しかし、はっきりしないものの不動坊の周辺には土塁状の土盛や空堀状の溝などが山林の中に確認でき、遺構ではないかと推測されている。
一説にはかなり広範囲に遺構が散在しているとも言われるが、古河公方を傀儡化して関東に号令していた小田原北条氏とは言え、利根川水系の要衝関宿城を押さえ、上杉謙信の援助を得て北条氏に抗していた梁田氏はかなりの難敵で、その動きを封じる為に高城氏に一大防衛拠点を築かせたことは有り得る話であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.914034/139.900453/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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