戸張城(千葉県柏市) [古城めぐり(千葉)]
←正門から見える堀と土塁
戸張城は、歴史不詳の城である。一説には、相馬師常の3男行常が戸張八郎を称したことから、戸張城主ではなかったかと推測されている。
戸張城は、大津川西側の比高15m程の段丘上に築かれた城である。現在、城跡には文京区立柏学園が建っているが、閉鎖されている為中に入ることはできない。わずかに固く閉ざされた正門から、一直線状の空堀と土塁が確認できるだけである。入手した縄張図によれば、主郭とニノ郭から構成され、正門から見えたのはニノ郭の土塁と堀で、主郭にも土塁と堀が残っている様である。地勢も基本的構造も増尾城によく似ているが、横矢掛かりのない一直線状の堀から考えると、鎌倉~室町前期の古い形態をそのまま残した城だったものだろうか。それにしても折角の城址遺構なので、閉鎖ではなく城址公園か何かにして開放して欲しいものである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.853416/139.993268/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
戸張城は、歴史不詳の城である。一説には、相馬師常の3男行常が戸張八郎を称したことから、戸張城主ではなかったかと推測されている。
戸張城は、大津川西側の比高15m程の段丘上に築かれた城である。現在、城跡には文京区立柏学園が建っているが、閉鎖されている為中に入ることはできない。わずかに固く閉ざされた正門から、一直線状の空堀と土塁が確認できるだけである。入手した縄張図によれば、主郭とニノ郭から構成され、正門から見えたのはニノ郭の土塁と堀で、主郭にも土塁と堀が残っている様である。地勢も基本的構造も増尾城によく似ているが、横矢掛かりのない一直線状の堀から考えると、鎌倉~室町前期の古い形態をそのまま残した城だったものだろうか。それにしても折角の城址遺構なので、閉鎖ではなく城址公園か何かにして開放して欲しいものである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.853416/139.993268/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世崖端城
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