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樺崎城(栃木県足利市) [古城めぐり(栃木)]

IMG_5537.JPG←低土塁に囲まれた主郭
 樺崎城は、15世紀後半に南宗茂・持宗父子が築いたと言われる城である。南氏は、足利尊氏の執事を務めた高師直に代表される高氏の庶流で、その事績は南氏館の項に記載する。古河公方と山内・扇谷両上杉氏が抗争した享徳の乱の最中の1471年、南持宗は古河公方側に付いていた為、上杉氏の被官で足利庄の勧農城に入部していた長尾景信・景人らの軍勢に攻め落とされ、持宗は討死したことが知られている。又時代は下って戦国末期の1584年、天正壬午の乱後に徳川家康と同盟し、北関東に本格的な侵攻を始めていた小田原北条氏によって樺崎城が攻められており、この時足利長尾氏家臣の秋間弾正が守っていたと伝えられている。

 樺崎城は、標高200m、比高130mの城山に築かれた城である。低土塁で周囲を囲んだ広やかな主郭と、その周囲を数段の帯曲輪・腰曲輪で囲んだだけのほぼ単郭の城である。小規模な城だが遺構は明瞭で、切岸などもしっかり普請されている。『栃木県の中世城館跡』の縄張図には、北西斜面に竪堀が記載されているが、これは地形の誤認と思われる。北東尾根の中腹部にも2段の段曲輪が見られるので、こちらに大手があったと思われる。しかし戦国末期まで使われた城にしては、いささか物足りなさを感じる。
腰曲輪と主郭切岸→IMG_5533.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.358536/139.502690/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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