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上杉氏発祥地(京都府綾部市) [その他の史跡巡り]

IMG_7628.JPG←「上杉姓氏発祥之地」の石碑
(2014年4月訪問)
 上杉氏は、勧修寺流藤原氏の流れより出た中級官人の家柄であった。その祖、勧修寺(藤原)重房は、鎌倉幕府6代将軍として京都から宗尊親王が迎えられた時、親王に従って鎌倉に下向した。重房は丹波国何鹿郡上杉荘を賜り、上杉氏を名乗った。その子頼重の娘清子が足利貞氏に嫁して、尊氏・直義を生んだことで、足利氏の姻族として飛躍する機会を得た。清子の兄憲房は、若き尊氏の良き相談相手となって1336年正月の京都争奪戦で尊氏を庇って討死にし、その子憲顕は、初期の室町幕府を兄に代わって主宰した直義から絶大な信任を得て鎌倉府の執事となり、以後上杉氏の活動の拠点は関東と守護管国であった越後に移った。憲房の系統を主として、山内・扇谷・詫間・犬懸の4つの上杉氏が勢力を有し、「上杉四家」と呼ばれた。当初、関東管領には上杉四家が相次いで就いたが、途中からは山内上杉氏の系統のみがこれを世襲することとなった。戦国時代に入ると、小田原北条氏が勢力を伸ばし、3代氏康が河越夜戦で大勝して一気に関東南半の覇権を握ると、山内上杉憲政は領国の上野も支えられず、越後守護代の長尾景虎を頼って落ち延びた。景虎は憲政の請いを容れて関東に出兵、北条氏の居城小田原城を包囲し、鶴岡八幡宮で関東管領職に就任し、上杉氏の名跡を譲られて上杉政虎(後の謙信)と名を改めたことは、よく知られている通りである。

 この上杉氏の発祥の地が、綾部市にある。国道27号線の上杉交差点の付近で、線路を越えて東側に「上杉姓氏発祥之地」の石碑が建っている。ここから一山越えれば、そこはもう丹後の舞鶴で、上杉荘は丹波の北端に位置していることがわかる。南北朝フリークにとっては避けては通れない史跡の一つである。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.360925/135.317252/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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