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長手楯(山形県米沢市) [古城めぐり(山形)]

IMG_2817.JPG←平城背後の二重横堀
 長手楯は、伊達四十八館の一つである。楯主は、伊達輝宗・政宗の家臣網代伯耆守で、1591年に豊臣秀吉の命で政宗が岩出山に移封となると、これに従ってこの地を離れた。添川の地を賜わり、伯耆を伊予と改めたと伝えられている。

 長手楯は、古館山から北西に伸びる山稜先端の小山に築かれた城である。比高40m程の山頂に築かれた山城と、その南麓の台地上に築かれた平城(根小屋)がセットで残った、置賜地区では稀有な例で、非常に貴重な遺構とされる。
 平城は、大小7つの曲輪で構成されており、中央西側にコの字状に入り込んだ部分が大手虎口、その北東の平場が主郭と考えられている。平城部分はほとんどが熊笹が密生した藪で覆われ、中に突入するのは容易ではない。しかし主郭背後には二重横堀が穿たれているのが明確に確認できる。この二重横堀は、北端に搦手虎口を設けて、北東に伸びる、掘切を兼ねた切通しの城道に繋がり、一方南端には窪地があり、井戸と推測されている。また大手虎口は内枡形を成し、切岸に沿って低土塁が築かれている。
 山城は、この平城部から北へと登って行くが、山麓谷戸の曲輪群はやはり笹薮の密生で形状がはっきり捕らえられない。斜面をやや登ると腰曲輪に至り、そこから櫓台を備えた小型の枡形虎口を入って、帯曲輪・段曲輪を経由して主郭に至る。主郭の周囲には、帯曲輪や腰曲輪が築かれているが、縄張りはそれだけで技巧性は殆ど無い。居館とセットになった希少性のある遺構だが、やや面白みに欠ける。
虎口の櫓台→IMG_2847.JPG
IMG_2866.JPG←主郭周辺の段曲輪
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.934162/140.161111/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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