丸城(千葉県南房総市) [古城めぐり(千葉)]
←腰曲輪
丸城は、「安房四氏」と称された豪族丸氏の居城である。伝承では、丸氏は源氏に従って軍功を挙げ、安房国を安堵されたとされる。室町時代に安房四氏の間で抗争が生起し、その間隙に乗じて里見氏が安房を平定した後、3代義通死去後の争乱の際、神余・丸氏らの遺臣や末裔が大井城や三原城等に拠って里見氏に叛き、正木大膳亮時綱によって討伐されたと言う。
丸城は、丸氏の菩提寺安楽寺の裏にある比高60m程の城山に築かれている。主郭のあった山頂には現在丸信俊を祀った城山神社が建てられ、主郭周囲には腰曲輪が確認できるが、全体に遺構は不明瞭で、背後の尾根には掘切もない。東と西の尾根には溝状の地形も見られるが、どうも近世の材木伐採による改変の様であり、遺構とは見做し難い。戦国時代以前の古い形態を留めた城だった様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.042304,139.947538&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
丸城は、「安房四氏」と称された豪族丸氏の居城である。伝承では、丸氏は源氏に従って軍功を挙げ、安房国を安堵されたとされる。室町時代に安房四氏の間で抗争が生起し、その間隙に乗じて里見氏が安房を平定した後、3代義通死去後の争乱の際、神余・丸氏らの遺臣や末裔が大井城や三原城等に拠って里見氏に叛き、正木大膳亮時綱によって討伐されたと言う。
丸城は、丸氏の菩提寺安楽寺の裏にある比高60m程の城山に築かれている。主郭のあった山頂には現在丸信俊を祀った城山神社が建てられ、主郭周囲には腰曲輪が確認できるが、全体に遺構は不明瞭で、背後の尾根には掘切もない。東と西の尾根には溝状の地形も見られるが、どうも近世の材木伐採による改変の様であり、遺構とは見做し難い。戦国時代以前の古い形態を留めた城だった様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.042304,139.947538&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世山城
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