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相森館(山形県高畠町) [古城めぐり(山形)]

IMG_2337.JPG←主郭周囲の堀跡
 相森館は、一時期伊達氏の本城であった高畠城の西1.6kmの位置にある、歴史不詳の城館である。1553年の『晴宗公采地下賜録』には、相森に所領安堵された地頭領主として「中村源三、佐竹越中」らの名が見える。一方、1528年の『安久津八幡例祭物取収並支払帳』には「六拾文相森井上筑後殿」と見える。いずれにしても、この地を領した地頭領主が住し、いくつかの在家があって支配していたものと推測されている。

 相森館は、現在果樹園と墓地となっている。主郭を中心に幾つかの曲輪跡とその周囲の堀跡が残るが、曲輪と堀の段差はわずかで、しかも南郭の堀跡は逆に土盛りされているなど、遺構が姿を消しつつある。更に悪いことには、すぐ西側に隣接して学校が建てられ始めており、既に城の西側部分は造成のため破壊されている。この他、昭和20年代後半の航空写真を見ると、主郭のすぐ東側を通る町道の東側も城域だったらしく、全体では横長の五角形をしていた様だ。しかし東側の外郭遺構も耕地化で全壊状態である。これ以上の破壊は是非避けて欲しいところである。それにしても何故中世城館の遺構を破壊して学校が建てられることが、未だに多いのだろう。こうした貴重な文化財を次代に引き継ぐ事も、学校の重要な使命の一つだろうに。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=37.998412,140.182403&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:中世平城
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evergreen

本当ですね。
役所や学校、道路で破壊された城址や遺跡を見るたびに、
公共用地にするからこそ保存の工夫ができるだろうといつも思います。
まして学校なら生きた教材になるわけですから。
by evergreen (2015-05-28 10:32) 

アテンザ23Z

>evergreenさん
根本的には、教育委員会とか教育行政に携わる人の文化財保護の意識が低いのが原因なんでしょうね。文化財を保護し、その価値を伝え広め、その地域地域の文化や歴史を見直すことができなくて、何が「地方再生、地域活性化」でしょうか。子供たちが、自分の生まれ育った土地の歴史や文化を知って愛着を持つようになれば、大人になってから安易に都市部に移り住むことも少なくなると思うのですが。
by アテンザ23Z (2015-05-28 21:14) 

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