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白毫寺城(兵庫県丹波市) [古城めぐり(兵庫)]

IMG_5192.JPG←北城の畝状竪堀
 白毫寺城は、『氷上郡埋蔵文化財分布調査報告書』では東城館と記載され、歴史不詳の城である。白毫寺の寺伝によれば、明智光秀の黒井城攻めの際、白毫寺衆徒は黒井城主赤井氏に味方して明智勢に抵抗し寺を焼かれたことから、当初は白毫寺衆徒によって築かれた城砦だったものを、明智勢が接収して黒井城攻めの付城に改修したと考えられる。

 白毫寺城は、白毫寺の東の比高40m程の独立小丘に築かれている。小丘は南北2つに分かれている為、城自体も大きく南北に分かれた一城別郭の構造となっている。まず北城は、社殿のある主郭を中心にしたほぼ単郭の縄張りで、主郭周囲に帯曲輪群を巡らし、南西斜面には畝状竪堀6条を穿っている。この竪堀群はかなり明瞭に残っている。その横には土塁に囲まれた短い横堀があり、斜度の緩い南斜面を防御している。北城は、いかにも臨戦的な砦という趣である。一方、南城は南北の尾根に沿って直線連郭式に曲輪を配置した縄張りで、大手と思われる北斜面には土橋を有した2段の小郭(虎口郭だろう)と小掘切で防御し、尾根上に段差だけで区画された細長い4つの曲輪を配置している。主郭の北端は岩場になっているが、一段高くなっており物見として機能したのだろう。4つの曲輪の両側には一段低く帯曲輪が走っており、更に一番北の三ノ郭の周囲に腰曲輪が廻らされ、北西に竪堀状の通路が降っている。北城も南城も普請は明確だが小規模な城砦で、臨時的な城塞の色彩が強い。
 また北城と南城で、築城構想が全く異なるというのも大変興味深い。戦乱の最中に築かれた中世城郭の築城では、やはり自然地形をどう城の縄張りに活かして普請の人工を少なくするかに主眼が置かれた為であろう。尚、南城では鹿に遭遇した。自然が豊かである。
南城の小郭と掘切→IMG_5210.JPG
IMG_5222.JPG←南城の帯曲輪と三ノ郭
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:【北城】http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.196922,135.096699&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

    【南城】http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.195414,135.09657&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0


丹波戦国史―黒井城を中心として (1973年)

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タグ:中世平山城
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