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玉ノ木原古戦場(宮城県七ヶ宿町) [その他の史跡巡り]

IMG_9619.JPG←標柱が埋もれた草むら
 玉ノ木原古戦場は、奥州の関ヶ原と言われる慶長出羽合戦の際に、伊達政宗と上杉景勝の軍勢が戦った古戦場である。1600年、徳川家康による上杉討伐とその隙に乗じた石田三成による徳川討伐の挙兵によって、天下を二分する合戦が生起した。下野国小山まで東下した家康は、三成挙兵の方に接し、ここで反転して西へ向かった。一方、石田三成と呼応した上杉方の総大将直江兼続は、後顧の憂いを断つ為、徳川方の最上領に大軍で攻め寄せた。山形城主最上義光は、山形盆地入口を護る要衝の長谷堂城に精鋭を集めて上杉勢に対する最後の防衛線とする一方、伊達政宗の元に嫡男義康を派して援軍を要請した。政宗はこれに応じ、叔父の留守政景に兵3000を与えて山形城の東方に進出させた。この時、政景は配下の茂庭綱元に別働隊を率いさせて七ヶ宿街道を西進させた。綱元は9月25日に湯原城を攻略し、更に二井宿峠に近い玉ノ木原に於いて上杉勢との間で合戦となった。七ヶ宿は、伊達宗遠・政宗(儀山公)父子が置賜に進出して以来の深い繋がりがあった為、この地の野武士達は伊達方に付いて奮戦したと言う。

 玉ノ木原合戦は、奥羽国境の二井宿峠を押さえる要衝、屋代楯東方の山間の平地で行われた。現在は国道113号線の脇の草むらの中に標柱が建っている。この標柱がまた、草に埋もれていてわかりにくく、普通ならば気付かずに通り過ぎてしまうだろう。古くからの重要な街道の歴史の1ページを伝えている。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.0175,140.288072&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
タグ:古戦場
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