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久慈城(茨城県日立市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_8618.JPG←櫓台周囲の横堀
 久慈城は、佐竹氏が久慈川の河口近くに築いた城である。その創築は不明であるが、1562年に宇佐美三九郎が城主であった時に相馬盛胤の攻撃を受け、城が未完成であったため落城。その後、佐竹氏が奪還し、慶長年間(1596~1615年)には北義憲(佐竹北家当主)が城主で、1602年の佐竹義宣の出羽秋田移封の際に廃城になったと言われている。

 久慈城は、国道245号線の新茂宮橋の北側に位置する比高20m程の丘陵南端部に築かれている。ほぼ単郭の城で、舟戸山共同墓地に登る車道脇に主郭西側の横堀が確認できる。この空堀の北部に土橋の架かった虎口があり、土橋に向けて主郭北西端に横矢張出しの櫓台が築かれている。横堀は、この櫓台を取り巻くように巡らされてクランクし、櫓台東側の横堀に対しても横矢を掛けている。主郭内は、横堀に沿って西辺から北櫓台に掛けて土塁が築かれ、主郭南端にも土塁と虎口が築かれており、主郭南側の腰曲輪に繋がっている。久慈城は、単純な構造の城であるが、主郭にはそこそこの広さがあることから、港湾を押さえる監視と防衛を担った城であったと思われる。尚、『図説 茨城の城郭』では久慈城を水軍城としているが、佐竹氏に組織的な水軍が必要であったかどうかは疑問視されるところであり、水軍城という見解も少々疑問に思う。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.490145/140.611417/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
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