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菅沼城(群馬県安中市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_9111.JPG←主郭北側の空堀・土塁
 菅沼城は、徳川家康の関東移封後に、その家臣菅沼治郎右衛門定清が城主となった城である。定清は、三河田内城主菅沼定勝の子で、家康に従って関東に入部し、1593年頃に菅沼城を居城とした。それ以前に菅沼城が存在していたかどうかは伝わっていない。

 菅沼城は、碓氷川北岸の比高30m程の断崖上に築かれている。城跡は現在海雲寺の境内となっている。外周を二重の空堀で囲まれたほぼ単郭の城であったらしい。二重の堀は、北側では土塁を挟んだ二重横堀の形状となっていたが、東側と西側では堀同士の間が広く空いていて、曲輪となっていた。南側は断崖に臨んでいるため、堀はない。以上が『日本城郭大系』に見える縄張りの概要だが、しかし現在内堀は、東側と南西部以外はほとんど湮滅しており、一重の堀にしか見えない。南西の内堀は、崖下にある郷原緑地公園に繋がる遊歩道になっているが、堀底に井戸跡が残っている。東側の内堀はかなり埋まっているが、横矢の屈曲があるのがわかる。
 尚、古い航空写真を見ると、主郭の北西に幅広の堀跡の様な畑が伸びているのが見え、主郭の西側に2つ程の外郭があったようにも見える。果たして遺構であろうか?

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.304491/138.842425/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世城郭の縄張と空間: 土の城が語るもの (城を極める)

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  • 作者: 松岡 進
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2015/02/27
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タグ:近世崖端城
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