離室城(栃木県那須塩原市) [古城めぐり(栃木)]
←主郭背後の小堀切
離室城は、宇都宮氏の家臣君島信濃守が築いたと伝えられる。君島氏は下総の名族千葉氏の出自と言われ、宇都宮氏に仕えた君島備中守が祖であると推測されている。1380年、宇都宮氏の勢力伸長に伴って塩原に進出した君島信濃守は、塩原温泉を守護するため、新たに出城を造り「離れ室」と称したとされる。しかし1476年には、狭間城主橘伊勢守に攻め滅ぼされ、塩原地方は橘氏の支配するところとなったと言う。
離室城は、箒川曲流部の東側にそびえる小山に築かれている。南東辺を大堀切で台地と隔絶し、北側に数段の腰曲輪群を築いている。山頂には三角形をした主郭を置いている。主郭内は上下2段に分かれ、更に背後には櫓台状の土壇と小堀切を築き、その南に小郭を置いて背後の守りとしている。小堀切の側方には小さい石積みが見られるが、遺構であろうか?以上が、城の状況で、小規模な城だが腰曲輪群など普請は明瞭である。主郭には解説板が設置されている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.966164/139.825476/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
離室城は、宇都宮氏の家臣君島信濃守が築いたと伝えられる。君島氏は下総の名族千葉氏の出自と言われ、宇都宮氏に仕えた君島備中守が祖であると推測されている。1380年、宇都宮氏の勢力伸長に伴って塩原に進出した君島信濃守は、塩原温泉を守護するため、新たに出城を造り「離れ室」と称したとされる。しかし1476年には、狭間城主橘伊勢守に攻め滅ぼされ、塩原地方は橘氏の支配するところとなったと言う。
離室城は、箒川曲流部の東側にそびえる小山に築かれている。南東辺を大堀切で台地と隔絶し、北側に数段の腰曲輪群を築いている。山頂には三角形をした主郭を置いている。主郭内は上下2段に分かれ、更に背後には櫓台状の土壇と小堀切を築き、その南に小郭を置いて背後の守りとしている。小堀切の側方には小さい石積みが見られるが、遺構であろうか?以上が、城の状況で、小規模な城だが腰曲輪群など普請は明瞭である。主郭には解説板が設置されている。
小堀切側方の石積み→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.966164/139.825476/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
2020-02-17 02:00
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