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甘利氏館(山梨県韮崎市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1389.JPG←館跡に建つ大輪寺
(2020年7月訪城)
 甘利氏館は、武田氏の一族で重臣でもあった甘利氏の居館である。武田庄に本拠を置いた武田信義の子、一条忠頼の次子行忠が、甘利の庄司となって入部したことから甘利氏を称した。行忠は、1180年の源頼朝の挙兵以来、父忠頼と共に活躍したが、1184年に忠頼が頼朝に謀殺されると、行忠も誅殺され、後にその子行義によって甘利氏が再興された。戦国時代には、甘利備前守虎泰・左衛門尉昌忠父子が武田氏の有力武将として活躍した。虎泰は、武田信虎の重臣であったが、信虎の性急な領国経営に危機感を持ち、板垣信方・飯富虎昌と共に信虎の嫡男晴信(後の信玄)を擁立し、信虎を駿河今川氏の元へ追放した。以後、晴信に従って信濃攻略に活躍したが、1548年の上田原の戦いで北信の雄・村上義清の軍勢と戦って討死した。その後、虎泰の嫡子昌忠が若干15歳で家督を継いだ。昌忠は、家老職を務める武略・外交・民政に腕を振るい武田氏家中で活躍したが、1567年に没した。その後、昌忠の3男慶受院日国聖人によって館跡に大輪寺が創建され、菩提寺となった。
 尚、甘利氏館の南西1.5kmの山陵上には、詰城と言われる扇子平山城がある。

 甘利氏館は、前述の通り現在大輪寺の境内となっている。遺構は湮滅が進み、寺の境内裏にわずかに土塁が残るだけらしいが、その土塁もコンクリート塀に遮られてよく見ることができない。残念な状況である。尚、境内には甘利昌忠の大きな墓が建っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.688655/138.442122/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国大名武田氏の家臣団―信玄・勝頼を支えた家臣たち

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