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安田城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN4706.JPG←資料館2階から見た本丸
 安田城は、1585年に豊臣秀吉が越中の佐々成政を討伐した「富山の役」の際に新造されたとされる城である。これより先、佐々成政は織田信長の後継者として実権を掌握した秀吉に対して対抗姿勢を示し、1584年に秀吉に与した前田利家の領国加賀・能登の分断を企図して、末森城を攻撃したが、利家の果敢な後詰戦により撤退を余儀なくされた。翌年、秀吉は10万と言われる大軍を率いて佐々討伐の軍を起こし、白鳥城に本陣を置いた。この時、その支城として安田城が築かれたと言われ、前田利家の家臣岡嶋備中守一吉を安田城に入れ、片山伊賀守を大峪城に置いて、成政の拠る富山城を包囲した。劣勢下で孤立した成政は剃髪して秀吉に降伏し、越中4郡のうち砺波・射水・婦負3郡が前田利家の嫡子前田利長に与えられた。その後、岡嶋氏が金沢へ戻ると代官平野三郎左衛門が居住したが、後に廃城となった。

 安田城は、白鳥城が築かれた呉羽丘陵の南東麓、井田川西岸の平地に築かれている。以前は田畑に変貌し、城の全貌も不明瞭であったらしいが、昭和50年代に圃場整備事業が計画されたことに伴い発掘調査が行われた結果、古図に描かれている城の構造にほぼ合致することが判明し、貴重な遺構として国の史跡に指定された。即ち間一髪で消滅の危機から救われた城である。その後、城の復元整備が進められた結果、かつての縄張りを見ることができる城址公園となっている。北に方形の本丸を置き、その南に土橋で連結された二ノ丸を配置し、その西側にやはり土橋で連結された右郭と呼ばれる縦長の外郭が配置された縄張りとなっている。各曲輪の周囲は、井田川から水を引き入れた幅広の水堀で囲まれている。主郭は、周囲をかなり分厚い土塁で囲んでおり、珍しい形態である。単なる柵列や塀ではなく、多門櫓のようなものが張り巡らされていたのだろうか。それに対して二ノ丸の土塁は普通の形状の狭幅のもので、本丸側の北面を除いた3面を取り囲んでいる。右郭には土塁はなく、北端部が横矢を意識したひしゃげた形で張り出している。以上が安田城の復元遺構の状況で、織豊期の城ではあるが、中世の陣城的色彩の濃い平城である。江戸時代に改変を受けていないため、織豊期の遺構をそのまま残す貴重な平城である。
本丸土塁上から見た二ノ丸→DSCN4747.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.680363/137.160852/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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