矢田城(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]
←西側の空堀と土塁
(2021年2月訪城)
矢田城は、近世には矢田陣屋と呼ばれ、この地の土豪小林氏が中世に築いた城館である。江戸時代前期以降には、京都五摂家の一、鷹司家の出である松平信平を祖とする鷹司松平家の陣屋となった。その経緯は吉井陣屋の項に記載する。1752年、松平信友が藩主の時に吉井に陣屋を移した。尚、すぐ北に隣接するように矢田代官所が置かれている。
矢田城は、矢田川とその支流に挟まれた台地の東縁部に築かれている。方形単郭居館であったと思われ、西辺と北辺に立派な土塁と空堀が残っている。郭内は民家になっているので、外回りから眺めるしかできないが、すぐ西を通る車道からでも、よくその遺構を見ることができる。一部ではあるが、史跡指定されていないのが不思議なほど、遺構がよく残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.249110/138.996030/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2021年2月訪城)
矢田城は、近世には矢田陣屋と呼ばれ、この地の土豪小林氏が中世に築いた城館である。江戸時代前期以降には、京都五摂家の一、鷹司家の出である松平信平を祖とする鷹司松平家の陣屋となった。その経緯は吉井陣屋の項に記載する。1752年、松平信友が藩主の時に吉井に陣屋を移した。尚、すぐ北に隣接するように矢田代官所が置かれている。
矢田城は、矢田川とその支流に挟まれた台地の東縁部に築かれている。方形単郭居館であったと思われ、西辺と北辺に立派な土塁と空堀が残っている。郭内は民家になっているので、外回りから眺めるしかできないが、すぐ西を通る車道からでも、よくその遺構を見ることができる。一部ではあるが、史跡指定されていないのが不思議なほど、遺構がよく残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.249110/138.996030/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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