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須賀川要害(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN0675.JPG←帯曲輪の上にそびえる主城部
 須賀川要害は、常陸の戦国大名佐竹氏が那須氏の侵攻に備えて築いた城とされる。戦国時代にこの一帯は佐竹氏の領地であったらしい。しかし、那須氏が佐竹氏に備えて築いた城との説もある。いずれにしても、戦国後期の佐竹義重の時代には、佐竹氏は度々那須氏の領国に攻め込んでいるので、その頃に境目の城として重視されたのだろう。

 須賀川要害は、栃木・茨城の県境に近い須賀川集落の西の山上に築かれている。押川西岸の標高366m、比高80m程の山で、南東麓から西の谷戸に入る山道があり、その道の途中から南東の支尾根に登ればよい。この支尾根には前衛となる大手曲輪群が築かれており、平場群の他に堀切も確認できる。大手曲輪群の最上段となる東郭には腰曲輪が築かれ、東の支尾根にも段曲輪群が築かれている。東郭から更に北西に尾根を辿ると、3段程の段曲輪群の上に主城部がそびえている。主城部は、南西に伸びる尾根上に築かれており、4つの曲輪を堀切で分断して配置した連郭式の縄張りである。整備された山林なので、段曲輪から主城部を見上げると、東側に築かれた2段の帯曲輪の上にそびえる切岸がきれいに眺められる。尾根上の曲輪は、北東端に二ノ郭を置き、土橋の架かった堀切を挟んで主郭がある。主郭の南西には堀切を挟んで三ノ郭、更に堀切を挟んで四ノ郭が配置されている。主郭と三ノ郭の西側にも帯曲輪が築かれ、主郭背後の堀切は長い竪堀となって落ち、西の帯曲輪を貫通している。また主郭の東に支尾根があり、そこにも帯曲輪群が幾重にも築かれている。須賀川要害は、大規模な城ではないが、普請はかなりしっかりしており、境目を守る重要な城であったことをうかがわせる。
主郭背後の堀切→DSCN0786.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.842761/140.231155/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国佐竹氏研究の最前線

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