SSブログ

高徳藩陣屋(栃木県日光市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN2825.JPG←陣屋跡
 高徳藩陣屋は、宇都宮藩戸田家の分家が立藩して築いた陣屋である。幕末の動乱の中、公武合体策を推し進めた老中安藤信正を襲撃した坂下門外の変と、天狗党の乱に藩士が参加していた宇都宮藩主戸田忠恕は、藩士の管理責任を問われ、幕府から藩主忠恕の隠居と、減封の上陸奥国棚倉への転封を命じられるなど、宇都宮藩は絶体絶命の窮地に追い込まれた。この時、藩の一門で重臣の戸田大和守忠至は、山陵奉行として100以上の山稜修補(荒れ果てていた歴代天皇の陵墓を修復する事業)を完了させた。これが朝廷から評価され、朝廷から幕府への働きかけがあり、処分の撤回に成功した。その功績により、忠至は1866年に本家から1万石余を分与されて大名となり、高徳藩を立藩した。忠至は陣屋を造営し、高徳領主星半三郎を陣代家老とした。しかしわずか2年後、戊辰戦争で高徳は新政府軍と旧幕府軍の戦場となり、陣屋は大鳥圭介・新選組の土方歳三率いる旧幕府軍によって焼亡した。明治維新後、忠至は新政府に出仕したため、1869年に家督を子の忠綱に譲り、翌70年に忠綱は下総国曽我野に移封された。

 高徳藩陣屋は、鬼怒川沿いにあったらしい。場所がわかりにくいが、鬼怒川ライン下りの降船場に通じる小道の途中にある。崖に面した平場となっており、入口に解説板が立っている。すぐ上には東武鉄道鬼怒川線が通っている。陣屋跡地には、星半三郎が藩主を偲んで戸田大和神社を建てたと言うが、現在は小さな石祠が置かれているだけである。休日に行くと、ライン下りから降りた乗客がたくさん登ってくるので、怪しまれないように注意が必要である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.791682/139.704466/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


江戸三百藩大全 全藩藩主変遷表付 (廣済堂ベストムック287号)

江戸三百藩大全 全藩藩主変遷表付 (廣済堂ベストムック287号)

  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 2015/03/02
  • メディア: ムック


タグ:陣屋
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント