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大島古戦場(山梨県身延町) [その他の史跡巡り]

DSCN3583.JPG←柵で囲われた古戦場の一角
 大島古戦場は、甲斐に侵攻した駿河今川氏の部将福島正成率いる今川勢と、甲斐の武田勢が戦った古戦場である。1521年、今川氏親の家臣で遠州土方城(高天神城)主福島正成は1万5千の大軍を率いて甲斐へ侵攻した。甲州河内に駐留していた所、8月28日に武田信虎は総攻撃を掛けて今川勢を敗走させた。しかし今川勢は態勢を立て直して逆襲に転じ、9月6日に富士川左岸の大島で武田勢を迎え撃ち、これを撃破した。今川勢は敗走する武田勢を追って富士川沿いを遡り、9月16日に甲府盆地の入口にある富田城を攻略し、この城を前進基地とした。その後、今川勢は甲斐府中の武田信虎の館(躑躅ヶ崎館)を目指して進撃を開始した。一方、武田信虎は大井夫人を要害城に避難させ、2千の兵を率いて荒川左岸の飯田河原に布陣した。正成率いる今川勢は、登美の龍地台に布陣して荒川を挟んで信虎の軍勢と対峙した。10月16日に飯田河原で両軍は激突し、武田勢が勝利した。今川勢は態勢を立て直し、再び11月23日に上条河原で武田勢と激戦を交えたが、信虎は再び今川勢に大勝した。大敗した今川勢は総大将の福島正成を始め多くの部将を失い、富田城へ敗走した。そのまま越年し、1月14日に駿河に引き上げたと言う。この戦いで今川勢に味方した波木井城主波木井義実は、1527年に信虎に攻められ、峯の城(波木井城)で滅ぼされたと言う。

 大島古戦場の場所は非常にわかりにくい。場所は大島集落の南端で、県道10号線から少し東に入ったところにある柵で囲まれた空き地が大島古戦場に指定されており、解説板が設置されている。空き地の中には東西に離れて2つの五輪塔がポツンと立っている。この今川勢侵攻に関する史跡は複数あり、戦国甲斐の歴史にとって非常に重要な事件であったことが伺われる。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.332379/138.450587/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:古戦場
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