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桑原城(長野県諏訪市) [古城めぐり(長野)]

DSCN1330.JPG←二ノ郭と主郭
 桑原城は、高鳥屋城とも呼ばれ、諏訪惣領家の本城上原城の支城である。諏訪氏の被官桑原氏の城であった。文献にその名が出てくるのは1483年の諏訪惣領家と大祝家の内訌の時である。即ち、1483年正月8日、大祝継満は惣領家の諏訪政満とその一族を前宮の神殿に招いて謀殺した。その詳細は干沢城の項に記載する。しかし大祝継満は諏訪氏の一家眷属の攻撃を受けて干沢城から高遠へ落ち、惣領を失った上社は不安定な日々を送ることとなった。その最中、神長官守矢満実は、3月10日に乱を避けて「高鳥屋城の上小屋(山上の砦)」に移り住んだ。3月19日になると、下社大祝の金刺興春は継満の味方を口実にして上社領を攻撃したが、上社勢は桑原氏らが高鳥屋城から討って出て、これを討ち破ったと言う。次に桑原城が現れるのは1542年の武田信玄による諏訪攻撃の時である。信玄は諏訪氏の家督を狙う高遠頼継や下社勢と結んで上原城の諏訪頼重を攻撃した。頼重は攻撃を防ぎきれず桑原城に移ったが、間もなく降伏して甲府に連行され、切腹させられた。その後の桑原城の歴史は不明である。

 桑原城は、上川東方の標高980m、比高210m程の山上に築かれている。登道はいくつかあるようだが、私は大手と推測される南西尾根から登城した。この道は開敷院の裏にあり、山道がきれいに整備され、城址誘導板も設置されている。開敷院本堂からちょっと登った所にお堂があり、その裏に1段の平場がある。その先を更に登ると鉄塔のある尾根に至る。ここからが本格的な城域となる。鉄塔の後ろには中央に土塁が築かれた細長い曲輪があり、周囲に腰曲輪が築かれている。この先は大手の多段曲輪群が構築され、小堀切も穿たれている。城の中心部に近くなると、腰曲輪は大きさを増し、その上に西曲輪がある。ここからが城の中心部で、全体として鼓型の形状をしている。西曲輪の上に二ノ郭があり、二ノ郭の中央には浅い堀切が穿たれている。西曲輪はこの二ノ郭の周りをコの字型に取り巻いている。二ノ郭からは諏訪湖が一望できる。二ノ郭の背後には堀切が穿たれ、その先に主郭が置かれている。主郭は前面と後面に低土塁を築いている。主郭の東には東曲輪が築かれ、堀切南から腰曲輪を経由して繋がっている。東曲輪の北部には首塚とされる土壇があり、その裏に竪堀が穿たれている。東曲輪の東の尾根にも腰曲輪があり、その先を堀切で防御している。また東曲輪の南の尾根にも腰曲輪群が築かれている。腰曲輪群の先端近くに小堀切が穿たれ、更にその先には自然地形の丘があるが、周囲に帯曲輪群が構築されているので、ここも城域であった事がわかる。以上が桑原城の遺構で、上原城同様に中心部はコンパクトに纏められており、あくまで有事の際の詰城であったことがよく分かる。
南東尾根先端の曲輪と中央土塁→DSCN1293.JPG
DSCN1315.JPG←南西尾根上部の腰曲輪群

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.025683/138.140030/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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