若松城(福岡県北九州市) [古城めぐり(福岡)]
←城跡付近の現況
若松城は、福岡藩主黒田長政が築いた筑前六端城の一である。六端城は、東隣の豊前細川家に備えるために築いた城砦群であった。長政は、若松城に三宅若狭家義を置いて守らせた。元々、永正年間(1504~21年)頃に竹内治部という武士の居城であったと伝えられる。1615年に元和の一国一城令で破却された。幕末には福岡藩がここに砲台を築いた。
若松城は、洞海湾内に浮かぶ中島という孤島に築かれていたが、明治14年に港湾整備工事の一環で全面的に削平され、その姿を消してしまっている。現在の若戸大橋の付近にあったらしいが、その正確な位置も現況ではわからない。しかし今でも若松と戸畑とを結ぶ若戸渡船があり、江戸中期の正徳年間(1711~16年)には西岸に福岡藩によって洲口番所が設けられて人・物流の監視をするなど、交通の要地であったことがわかる。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:(推定)https://maps.gsi.go.jp/#16/33.902452/130.817084/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
若松城は、福岡藩主黒田長政が築いた筑前六端城の一である。六端城は、東隣の豊前細川家に備えるために築いた城砦群であった。長政は、若松城に三宅若狭家義を置いて守らせた。元々、永正年間(1504~21年)頃に竹内治部という武士の居城であったと伝えられる。1615年に元和の一国一城令で破却された。幕末には福岡藩がここに砲台を築いた。
若松城は、洞海湾内に浮かぶ中島という孤島に築かれていたが、明治14年に港湾整備工事の一環で全面的に削平され、その姿を消してしまっている。現在の若戸大橋の付近にあったらしいが、その正確な位置も現況ではわからない。しかし今でも若松と戸畑とを結ぶ若戸渡船があり、江戸中期の正徳年間(1711~16年)には西岸に福岡藩によって洲口番所が設けられて人・物流の監視をするなど、交通の要地であったことがわかる。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:(推定)https://maps.gsi.go.jp/#16/33.902452/130.817084/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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タグ:近世海城
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