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川田城(群馬県沼田市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_9533.JPG←主郭
 川田城は、下川田城とも言い、沼田城主沼田氏の庶流川田氏の居城である。沼田氏系図によれば、沼田景久の子、景信が川田氏を称したのが始まりとされ、その後、信光・信清・光清・光行と続いたとされる。1552年の小田原北条氏による沼田進攻により川田氏は滅亡したと考えられている。その後、天文年間以降は山名義季が城主であったが、1582年に武田勝頼・織田信長が相次いで滅びると、徳川家康との天正壬午の乱を経て、上野の大半が北条氏の勢力下となった。そして北条氏が中山城を築いて拠点化すると、川田衆に動揺が走り、北条方へ離反する者が増えた責めを負って山名氏は沼田へ移され、替わって禰津幸直が城主となった。沼田城の西の守りとして、北上州を押さえる真田氏と、上州の完全制圧を目指す北条勢氏との間での激戦地となり、山名主水(義季の子)ほか地侍が多く討死にした。1590年に北条氏が滅亡すると、真田信幸が沼田城主となり、一領国一城により廃城となったと言う。

 川田城は、利根川西岸の比高20m程の段丘上に築かれている。主郭は民家の裏にあり、訪城にはこのお宅の許可が必要だが、解説板が立っているぐらいなので、声掛けすれば快く了解頂ける。五角形の主郭の周囲に空堀を巡らし、更に帯曲輪を築き、東には半月形の小郭を置いている。しかし北辺以外の主郭空堀はかなり湮滅しており、主郭の南も東もわずかな段差しか残っていない。北側の堀・帯曲輪はよく残るが、薮がひどくて形状把握が困難である。西側は堀跡がややはっきり残っている様である。激戦が行われたとは信じられないほど小規模で単純な城であるが、それでも戦国期の歴史に名を残している。
 尚、東の小郭に建つ薬師堂の奥には、戦国後期の沼田・吾妻の歴史を綴った『加沢記』の著者、加沢平次左衛門の墓がある。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.631767/139.031446/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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