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尾畑城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN6208.JPG←西の堀切
 尾畑城は、歴史不詳の城である。城の西側には、飛騨街道と並び飛騨・越中を結ぶ重要街道・大長谷街道が通っており、この街道を眼下に見下ろせることなどから、街道を監視するために築かれたと推測されている。またその縄張りには、地元土豪が築いた周辺城砦と大きな違いがあり、外部勢力による築城との推測もされている。これらのことから1576年の上杉謙信の能登侵攻の際に飛騨口を守るために上杉氏が築いた城とも考えられているが、確証はない。

 尾畑城は、標高593mの奥地の山上に築かれている。市の史跡に指定されており、西麓の車道脇に標柱と解説板が立っており、そこから登道が整備されている。但し登道はあると言っても、かなり傾斜がきつく、場所によっては滑り落ちそうになるような尾根直登に近い山道なので、登るのはかなり大変である。小規模な城砦で、四方の尾根に堀切を穿ち、その手前に櫓台を配置して守りを固めている。南尾根以外の堀切は、この手の小城砦には不釣り合いなほど規模が大きい。また西・北の堀切は、間にある窪地状の平場で合流しており、更に北の堀切から東の堀切までの外周に武者走りが通じており、これらの堀切が城内通路を兼ねていたことがわかる。主郭は小さな櫓台状の高台で、周囲の腰曲輪は傾斜し、前後の櫓台との間は堀切状の鞍部となっている。また主郭の南下方には横堀が穿たれている。この他、北西の谷間には水の手が残っているが、藪が多くて形状が把握しづらい。以上が尾畑城の遺構で、少人数の番兵だけを置いて物見と烽火台を主任務とした城だったのだろう。
堀切状の鞍部と主郭→DSCN6227.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.514008/137.097402/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


図説 上杉謙信

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タグ:中世山城
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