SSブログ

道所森楯(岩手県金ケ崎町) [古城めぐり(岩手)]

DSCN7617.JPG←本丸西の横堀
 道所森楯(道所森館)は、寛文年間(1661~73年)に仙台伊達藩が、盛岡南部藩の動きに備えるために築城に着手した城と言われている。藩祖伊達政宗の10子、一関藩主伊達兵部宗勝をこの地に移封する計画であったが、宗勝は伊達騒動と言われるお家騒動の中心人物となり、審問に敗れたためその子と共に流罪となり、築造は中止されたと言う。

 道所森楯は、標高116.8m、比高20m程の独立丘陵に築かれている。明確な登道はないようなので、解説板のある北東麓から、薮をかき分けて適当に斜面を直登した。中心にほぼ方形の本丸を置き、周囲に腰曲輪・空堀をを築いただけの、比較的簡素な構造となっている。もちろん築城途中で放棄された城なので、今残る姿が完成形ではないのだろうが、独立小丘という地勢上の制約や幕府の監視の手前、それほど複雑かつ大規模な構造にはできなかったと推測される。本丸は南に傾斜した曲輪で、内部は3段程の平場に分かれている。本丸外周の腰曲輪は、北側は幅広で外周に土塁が築かれている。北東には搦手虎口と思われるL字型の堀状通路があり、側方に土塁が突出している。東・南の腰曲輪には幅広の土塁が築かれ、本丸切岸との間に堀状通路が設けられている。南に大手虎口が築かれ、大手道と大手防衛の曲輪が構築されている。また本丸の西側は薬研堀の横堀が穿たれ、外周に土塁が築かれている。以上が道所森楯の遺構で、慶長の築城ラッシュから既に約半世紀が経ち、築城技術が衰退した平和な時代の城郭遺構である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.231613/141.073916/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


オールカラー徹底図解 日本の城

オールカラー徹底図解 日本の城

  • 作者: 香川元太郎
  • 出版社/メーカー: ワン・パブリッシング
  • 発売日: 2021/09/28
  • メディア: 単行本


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー